1967年のトヨタとダイハツの業務提携後、トヨタからダイハツに送り込まれた最初の社長は大原栄氏(1975〜)だった。その後、現在の奥平社長まで10人が社長となっているが、そのうち8人がトヨタの専務クラスからの就任であり、ダイハツプロパーは2人だけだ。
業務提携以来、98年にトヨタがダイハツに過半数を出資して連結子会社としてからは、社長の送り込みに加えて会長など経営幹部も送り込まれるようになった。
特筆されるのが05年にトヨタ副社長からダイハツ会長となった白水宏典氏だった。当時の社長よりも、トヨタ時代には格上だったことから白水氏は“天皇”と呼ばれ、「スズキから軽自動車トップを奪還せよ」といった号令を掛けたほか、九州大分(中津)工場新設を決断した人でもある。白水氏は11年に会長を退いたが、その後も技監として隠然たる権力を持ち、16年のトヨタによる完全子会社化への道筋を作ったとされる。
とはいえ、トヨタからダイハツに送り込まれたトップや経営陣のすべてが責任を負うべきと主張するつもりもなく、ダイハツ陣営に溶け込んでダイハツプロパーから信頼された経営人材もよく知っている。
現在の奥平社長もトヨタ時代、開発畑でカローラ開発主査や米国サイオン開発主査など小型車開発エンジニア出身で真面目な人柄で知られる。そもそも、奥平体制も17年6月から始まっており、有事でなくともトップ交代の時期に来ていた。