人を動かすには「論理的な正しさ」も「情熱的な訴え」も必要ない。「認知バイアス」によって、私たちは気がつかないうちに、誰かに動かされている。人間が生得的に持っているこの心理的な傾向をビジネスや公共分野に活かそうとする動きはますます活発になっている。認知バイアスを利用した「行動経済学」について理解を深めることは、様々なリスクから自分の身を守るためにも、うまく相手を動かして目的を達成するためにも、非常に重要だ。本連載では、『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から私たちの生活を取り囲む様々な認知バイアスについて豊富な事例と科学的知見を紹介しながら、有益なアドバイスを提供する。
職場環境によって不道徳な行動が誘発される
企業が1年間でこうむる損失のうち、およそ5%は職場での不道徳な行動に起因する。
これは大きな問題だ。残念ながら、お金は自分勝手な振る舞いを助長するアメでもあるのだ。
特に、証券ブローカーやレジ係など、お金が絡む職業の人は不道徳な行動を誘発されやすい。
目の前にお金があるような環境ではなく、たとえばもっと顧客へのサービスに意識が向くような労働環境にすれば、こうした不正も起きにくくなるかもしれない。
たとえば、ランチやコーヒーをデビットカードや商品券で支払えば、現金を扱う機会は減り、お金が意識から遠ざかる。このように、ビジネス環境には簡単に改善できる余地がある。
では、金融危機についてはどうだろうか。「人々が欲望をむき出しにするような風潮が金融危機を引き起こした」という見解は、2014年にある実験結果が発表されるまで、表面的な現象を捉えているにすぎないと考えられていた。
その実験では、銀行員はコイントスを10回して、表と裏のどちらが出たかを報告する。
どちらが出たかによって、20ドル受け取れるか、報酬ゼロになるかが決まる。
銀行内の競争的な雰囲気を反映させるために、もっとも高い金額を稼いだものだけが報酬を得る仕組みにした。
また何人かの銀行員には、あらかじめ「任意のテレビ番組に関するアンケート」に回答するよう指示した。すると、不正をする傾向が平均して他よりもわずかに高くなった。
51%の割合で表だと報告したが、これは正直なグループの数値よりほんの少しだけ高いものだった。
別のグループは、事前に「銀行に関するアンケート」を受けるよう求められ、それによって「銀行員としてのアイデンティティ」を嫌というほど意識することになった。
こちらのグループは平均して58%の割合で表が出たと主張した。この数値はコイントスをした場合の現実的な割合(50%)から、かけ離れている。
とはいえ、好意的に解釈するならば、人が「銀行」から連想するのはお金なので、たとえ銀行員ではなくとも、アンケートによって不誠実な動機がもたらされるのではないかと考えることもできるだろう。
しかし、同じ実験は学生に対しても行われた。そして、彼らは銀行員ほど不誠実ではなかった。
この結果は、ビジネス環境が不道徳な行為の原因であることを示唆している。
(本記事は『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から一部を抜粋・改変したものです)