偏差値教育的な
学力は意味がない

白井 以前、ちょうどブラック企業という言葉が世の中に知られるようになってきた頃ですが、大学で働き方についての講義をしたのです。そうしたらアンケートに「ブラック企業には入らないようにしたい」というだけの感想が複数あったときは呆れました。そりゃ誰だって入りたくないに決まってますよ。でもそこしか働く場所が見つからなかったり、まともだった企業がいつしかブラックになってしまったりする。そういうところに一切想像力が及ばない。きわめて消費者的です。買い物ならお金を持っていれば好きなものを買えるのと同じように、自分だけは何でも好きなように選べると思い込んでいるのでしょう。根拠もなく。

佐藤 その点からも教育が重要になります。お受験的、偏差値教育的な学力は意味がありません。もっとも、未知の問題に出合ったとき、総合的な見地から理解し、対応する力を養うのはそう簡単なことではないけれど。自分や自分のまわり以外の気持ちを推し量る訓練もしなければいけませんし。

 もっとも今の日本では、指導者となるべき大学人もかなり疲れている。白井さんのようにアカデミックな手続きを踏んだ上でのきちんとした文書を書きつつ、賢母的に大学で学生たちと向き合っている若手が少ないことも問題ですね。

白井 僕自身ももっとリスクを取って「君のように何も考えない人間がいるから、ブラック企業がなくならないんだね」くらい言うべきかもしれません。結局誰も教えてくれなかったから、大学生にもなってまことに情けない状態になっている。さらに「空気を読め」という風潮で自分の意見も言えず、いいように利用されたり、鬱になったり。それじゃ何のために生まれてきたのかわからない。生きている以上、何らかの制約は必ずあります。その中で少しでも自由に、自分が思うように生きるため、僕らは学ぶのだと思うんです。