マスコミがネタ元に過度に依存してしまう問題

 なぜ「旧統一教会報道」が、ここまで露骨な「偏向報道」に流れるのかというと、松本人志さんのケースとまったく同じで、「人民裁判システム」が作動しているからだ。

 そもそも、なぜマスコミが疑惑報道を否定する人たちを「黙殺」するのかというと、アクセスジャーナリズムという問題がある。これはメディアがネタ元(情報源)に過度に依存してしまうという問題だ。日本の場合、国連特別報告者から「記者クラブ制度」がアクセスジャーナリズムの温床になると指摘されている。

 このように「ネタ元依存」が異常に強い日本のマスコミは、勇気を出して被害を訴えてくれた人や、自分たちが取材できないようなインサイダー情報をくれる専門家を過度に持ち上げて、何の裏取りもしていないくせに「絶対に正しい」と思い込む。そのため、それを否定する人があらわれると「黙殺」してしまう。

 そんなアクセスジャーナリズムという構造的な問題をこれ以上ないほどわかりやすく体現しているのが、前述した「旧統一教会報道」だった。

 テレビでも新聞でも週刊誌でもネットニュースでもいいので、これまでの旧統一教会に関するニュースを読み返してみると、ある奇妙な事実に気づくはずだ。それは「情報源が異様に少ない」ということだ。

 まず、「専門家」は先ほども述べたように全国弁連に関連する方々と、ジャーナリストの鈴木エイト氏。そして、「被害」を訴えている元信者に関しても、報道の中に登場するのは「小川さゆり」と名乗っている女性など数人だ。

 つまり、「旧統一教会報道」というのは、「限られた数の情報源」によってのみつくられたものだ。

 これを裏返せば、この「限られた数の情報源」にそっぽを向かれてしまったら、マスコミの「旧統一教会報道」は成立しないということでもある。

 自分たちで取材をすればいいじゃないかと思うかもしれないが、安倍元首相が凶弾に倒れるまでこの教団を取材していたマスコミ記者など皆無だ。それに引き換え、紀藤弁護士や鈴木エイト氏はもう何年も教団を追い続けている。今あわてて取材をしたところで、知見も人脈も足元にも及ばない。となると、マスコミがとるべき手段は、紀藤弁護士や鈴木エイト氏への完全依存しかあるまい。

 ネタ元が指摘した「問題」は、ワイドショーのスタジオでも「問題」だと取り上げる。彼らが「旧統一教会は反社会的団体だ」と言えば、それをそのままコピぺしたような議論が行われる。そして、前出の中山弁護士のように、紀藤弁護士や鈴木エイト氏の主張と真逆のようなことを言う人は「黙殺」される。

 このあたりの構造は、松本人志さんの性加害疑惑報道をめぐる「文春」とマスコミの関係とまるっきり同じだ。