天才数学者たちの知性の煌めき、絵画や音楽などの背景にある芸術性、AIやビッグデータを支える有用性…。とても美しくて、あまりにも深遠で、ものすごく役に立つ学問である数学の魅力を、身近な話題を導入に、語りかけるような文章、丁寧な説明で解き明かすロングセラーの数学読み物『とてつもない数学』。鎌田浩毅氏(京都大学教授)「数学“零点”を取った私のトラウマを払拭してくれた」(「プレジデント2020/9/4号」)、「人気の数学塾塾長が数学の奥深さと美しさ、社会への影響力などを数学愛たっぷりにつづる。読みやすく編集され、数学の扉が開くきっかけになるかもしれない」(朝日新聞2020/7/25掲載)、佐藤優氏「永野裕之著『とてつもない数学』は、粉飾決算を見抜く力を付ける上でも有効だ」(「週刊ダイヤモンド2020/7/18号」)、教育系YouTuberヨビノリたくみ氏「色々な角度から『数学の美しさ』を実感できる一冊!!」と絶賛されている。今回は、著者の書き下ろし原稿を特別に掲載する。
継続は力なり
「継続は力なり」という。これを数学的に検証してみよう。
たとえば、あなたが「前日に走った距離よりも1%長い距離を走る」という目標を掲げて、初日は1km走るとする。すると、10日後には1.1km走れるようになる。1ヵ月後には1.3km、100日後には2.7kmまで伸びる。
さて、ここで問題だ。
あなたが50kmを走れる走力を身につけるまでにはだいたい何日かかるだろうか?
A. 400日
B. 800日
C.1200日
100日かかっても走れる距離は3kmに満たなかったわけだから、50kmを走れるようになるまでには相当時間がかかるだろう、と考えてBやCを選ぶ人がいても不思議はない。
しかし、正解はAだ。
初日は1kmだった。100日経っても走れる距離は3倍にならない(111日後に3kmを超える)のに、394日後には50倍の50kmを走れるようになる。ちなみにフルマラソン(42.195km)を走れるようになるのは、377日後だ。
この後の伸びはさらに驚異的で、463日で100kmに達し、Bの800日では2864km(ほぼ日本列島の長さ)、Cの1200日では15万3千km(ほぼ地球4周分)まで伸びる。
もちろんこれらは机上の空論ではあるが、最初は少しずつしか増えなかったのに、途中から急激に増えることに驚く人は多いと思う。
1kmから始めて「前日に走った距離よりも1%長い距離を走る」とき、x日後の走る距離をykmとすると、y=1.01^xとなる。ここで「1.01^x」は「1.01のx乗」のことであり、この形をした関数を指数関数という。
変化の度合いが、最初はわずかで途中から爆発的に大きくなるのは指数関数の特徴である。よく取り上げられる例で言うと、コピー用紙(厚さ0.1ミリメートル)を半分に切って重ねることを何回も繰り返したときの厚みも指数関数になる。
半分に切って重ねることを42回繰り返すと月までの距離(約38万km)を超え、100回で133億光年にもなる。「133億光年」というのは光の速度で133億年かかる距離を指す。
宇宙の始まりが約138億年前だから、たった100回で、宇宙が生まれたときの光が到達する距離にせまる厚さになってしまうなんて、とてつもない。
現状維持は後退?
ウォルト・ディズニー、文豪ゲーテ、福沢諭吉、松下幸之助、渋沢栄一などが「現状維持は後退である」という意味のことを言っている。向上心を奮い立たせてくれたり、まわりが進歩していることを忘れるなという気づきを与えてくれたりする言葉である。
ただしここでは、そういうことは抜きにして、本人は「現状維持」と思っていても知らず知らずのうちに1%くらいはパフォーマンスが落ちてしまう危険性を考えてみたいと思う。
ふたたび問題。
もし毎日の仕事において「前日の99%」を繰り返してしまう場合、50日後の仕事の成果は当初の何%くらいになるだろうか。
A. 90%
B. 80%
C. 60%
「前日の99%」を繰り返してしまう場合、初日の仕事の成果を100%として、x日後の仕事の成果をy%とすると、y=0.99^xとなる。これも指数関数だ。
今回も最初の変化は少ないだろうと思って、AやBを選んだ人がいたかもしれない。
しかし、正解はCだ(正確には60.5%になる)。
そして、69日後に50%を切る。わずか10週間ほどで、仕事のパフォーマンスが半分以下になってしまうわけだ。ちなみに、1%まで減るのは459日後であり、どんなに時間が経っても0%にはならない。
今回のように「減っていく指数関数」の場合は「増えていく指数関数」とは逆に、変化の度合いは最初が大きく、だんだん小さくなる。「現状維持は後退だ」という言葉は、こういう「知らず知らずのうちの99%」の怖さも教えてくれているように思う(もちろん、実際の仕事はこんなに単純なものではないが…)。
ちなみに、熱々の料理や飲み物が冷めていくときの温度変化も「減っていく指数関数」になるので、最初の下がり方が大きい。たとえば、90℃のものが60℃に下がるまで30分かかるとすると、60℃から30℃に下がるまでには約50分かかる。
今回取り上げた指数関数のように、シンプルな数式が実生活に関わる問題の答えを教えてくれること、そしてその結果が想像を超えていて面白いことが、数学にはたくさんある。
数学そのものが持つ美しさを堪能するのも感動的だが、数学が実社会に応用されることで明かされる真実を知るのもまた楽しい。
(本原稿は『とてつもない数学』の内容と関連した書き下ろしです。)
永野裕之(ながの・ひろゆき)
永野数学塾塾長
1974年東京生まれ。父は元東京大学教養学部教授の永野三郎(知能情報学)。東京大学理学部地球惑星物理学科卒。同大学院宇宙科学研究所(現JAXA)中退後、ウィーン国立音大へ留学。副指揮を務めた二期会公演モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」(演出:宮本亞門、指揮:パスカル・ヴェロ)が文化庁芸術祭大賞を受賞。主な著書に『大人のための数学勉強法』(ダイヤモンド社)、『東大→JAXA→人気数学塾塾長が書いた数に強くなる本』(PHP研究所)など。これまでに1000人以上の生徒を数学指導してきた実績を持ち、永野数学塾は、常に予約キャンセル待ちの人気となっている。NHK(Eテレ)「テストの花道」出演。朝日中高生新聞で『マスマスわかる数楽塾』連載(2016ー2018年)。朝日小学生新聞で『マスマス好きになる算数』連載(2019ー2020年)。『
とてつもない数学』(ダイヤモンド社)がロングセラーとなっている。
数学は、美しくて、深遠で、役に立つ――著者より
1から1000に増えるまでには約2ヵ月かかった。その後、11日で2000にまで増えた。さらに、3日後には、3000を超えてしまった。
これが何の数字かおわかりだろうか? 新型コロナウイルスの日本国内における感染者数の推移である。WHOによると、新型コロナウイルスは1人の感染者からおよそ2人(正確には1.4~2.5人)に感染するそうである。これは、感染者の数が1人→2人→4人→8人→16人……と「倍々ゲーム」で増えていくことを意味する。
「倍々ゲーム」を1から始めた場合、「→」を4回重ねても16にまでしか増えないが、10回重ねると1024まで増える。「→」を20回重ねれば、なんと100万を超えてしまう。このように同じ数を繰り返し掛けることによる変化を「指数関数的変化」と呼ぶ。最初はゆるやかにしか増えないのに、途中から爆発的に増えるというのは、指数関数的増加の最大の特徴だ。冒頭に紹介した感染者数の推移はまさにこの特徴にあてはまる。
もし数学がなかったら、私たちはかつて経験したことのない事態に見舞われたとき、ただ呆然と立ち尽くすか、「予言者」を名乗る人物の言葉を信じるしかないだろう。しかし、数学があれば、たとえ未曾有の感染病であっても、モデルを作り、論理的考察を重ねることで、確度の高い予想を立てることができる。それは未知の問題を解決する緒になる。
現代は、第四次産業革命の真っ只中にある。コンピューターとインターネットの普及によって、AI(人工知能)、IOT(モノのインターネット)、ビッグデータなどが産業に大きな変化をもたらしているのだ。そうした中で、数学の存在感は益々大きくなっている。国家や企業の命運を左右する戦略の決定から、ごくごくプライベートな問題に至るまで、数学の守備範囲は極めて広い。
たとえばイギリスの数学者ピーター・バックスは、2009年に「なぜ僕には恋人ができないのか?」という論文を書いた。その中で彼は、いわゆる「フェルミ推定」を使い、自分が理想とする女性がロンドンには26人いるはずだと算出している(ロンドンの人口を考えると、そのうちの誰かと出会える確率は極めて低いと結論した)。
「フェルミ推定」というのは、既知のデータといくつかの推定量を掛け合わせてだいたいの値をはじき出す手法のことを言う。GoogleやMicrosoftなどが入社試験に「東京にはマンホールがいくつあるか?」のような問題を頻繁に出したことから「フェルミ推定」は注目を集めるようになった。
また、つい最近、こんなニュースもあった。京都大学数理解析研究所の望月新一教授が8年前に書いた「ABC予想」についての論文の査読(内容チェック)が終わり、その正しさが確認されたという。誠に素晴らしいことであるが、このニュースを聞いて「正しいかどうかを判定するのに8年も?」と驚かれた方は多いのではないか。この論文は、発表された当時「理解できる数学者は10人もいないだろう」と言われた。数学はときに、世界最高ランクの頭脳が束になっても叶わないような高い知性を必要とする。
この度上梓させていただく『とてつもない数学』には、数学の、こうしたとてつもない懐の広さと魅力について書いた。数学の学問としての奥深さ、美しさを体現する芸術性、実学としての社会への影響力などを、文系の読者にも読みやすいように、できるだけ噛み砕いて書いたつもりである。また、ことり野デス子さんの可愛く、それでいて数学的に的を射たイラストもふんだんに盛り込まれているので是非お楽しみいただきたい。
歴史に名を残す数学者の姿も書いた。彼らについて知れば、数学は人類が脈々と受け継いできた「叡智の結晶」であることがわかるだけでなく、クールな数式の裏に隠された熱いドラマにも胸を打たれることだろう。
私自身は、高校時代に物理を通して数学の「とてつもなさ」を知った。公式として覚えさせられた数式の数々が、微分・積分によってすべて繋がることを知ったときの興奮と感動は今でもはっきりと覚えている。それは私にとって、数学という世界の扉が開いたような心持ちになる出来事だった。
その後は、数学の持つ合理性と美しさをどこにでも発見することができたし、数学が教えてくれるものの考え方が人生を生きる上での指針になることも知った。
1つの「とてつもなさ」をきっかけにして、こうした経験を積んだことこそ、私が数学の意味と意義とお伝えすることをライフワークにしていこうと決心した最大の理由である。数学の「とてつもなさ」が私の人生を変えたと言っても過言ではない。
本書が、読者にとっての「数学の扉」が開くきっかけになることを願っている。
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「色々な角度から『数学の美しさ』を実感できる一冊!!」
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数学の概念や理論・方法論は、主に16世紀以降、物理学、化学、生物学、天文学といった基礎科学はもちろん、工学、農学・医学、経済学といった実学にも応用され、さらには哲学や芸術までにも拡がった。そして、第四次産業革命(AI、IOT、インターネット、ナノテクノロジー、自動運転といった技術革新があらゆる場面の産業に引き起こしている技術変革)が進行中の現代では、数学の存在感は益々大きくなっている。
これからは、数学と無関係なものは何もない、と言えるところまで拡大していくのではないだろうか。そういう意味では数学の「とてつもなさ」は、今もなお発展中なのである。
本書では、ピタゴラス、デカルト、フェルマー、ニュートン、ライプニッツ、オイラー、ガウス、カントール……などの天才数学者たちの功績を紹介し、彼らがもたらした方程式、関数、微分積分、集合、確率、統計……といった数学上のブレイクスルーの意味をお伝えした。また、負の数、虚数、無限、N進法といった概念や、円周率やネイピア数という不思議な定数とその影響力の大きさ等についても書いた。
数学の大きな魅力の1つである「美しさ」にも1章を割いたし、魔方陣や万能天秤といったパズル的な話題を通して、数そのものの不思議さが感じられる「計算」も紹介した。我ながらヴァラエティに富んでいると思う。それだけ数学という学問は間口が広いのだ。
本書で紹介した数学の学問としての奥深さ、美しさを体現する芸術性、実学としての社会への影響力などを通して、数学の「とてつもなさ」が――どれかひとつでも――伝わっていますように。そして、あなたにとっての「数学の扉」が開くきっかけになりますように。(本書の「おわりに」より)