「NO」と言われても、受け入れることが大事
私が「貸してって友達に言われても貸さないでもいいの?」と驚いて先生にこの教えについて尋ねると、友達とおもちゃなどをシェアするためには、何よりも「自分が使っているものを使い終わるまで使ってもいい」「誰かに貸しても自分が必要なときには返してもらえる」と思える安心感が必要で、逆にもし「自分が使っているものが誰かに取られてしまうかもしれない」という不安が先行してしまうと、友達とのシェアが難しくなると説明され、「なるほど!」と思わされました。
そして、子どもたちが学んでいる同意は契約のようなものではなく、2人の間の同意なので、「やっぱり嫌だ」と気持ちが変わってもOKとのこと。気持ちの変化も含めて、互いに尊重し合う必要がある。ルールよりも、お互いへのリスペクトや安心感が重視されるのです。
子どもたちには相手の気持ちが自分の考えや希望と違っても、「仕方がない」とムーブオンできる考え方が可能になるように、そんな願いも同意教育に含まれていることに気づきました。
誰かを誘ったときに、「NO」と言われても、自分が否定されたわけではない。貸してとお願いしたのに「NO」と言われたら、他の子から借りたり、その場では借りられなくても、待てば自分の番が来る。
このように、「NO」と言われても「傷つくけど、大丈夫だ」と思える経験、NOを受け入れる練習もセットですることが同意に意味をもたらすのです。
逆にYESやNOと意思表明しても、その答えが受け入れられない環境では、そうした言葉の意味がなくなってしまいます。
「貸してと言われたときにNOと思っていても、貸さなければならない」「遊ぼうと誘われて、実はNOという答えを持っていても、遊ばなければならない」という経験が増えれば増えるほど、自分の思いや答えは意味を持たないと考え、意思を表明しようという気持ちすら湧かなくなってしまうかもしれません。
また、「NO」と言われた経験を消化する機会がない場合、一つ一つのNOという返答のインパクトが不必要に大きくなってしまうこともあるでしょう。
誰であっても「自分の存在や思いや意見には意味がある」と感じる権利があるのです。社会の中でこのような「尊厳」の権利が大切にされるように、まずは自分や自分の周りから、思いを伝えてみる、思いを受け止めてみる練習を試みることをお勧めします。そのような小さな試み一つ一つが喜びと勇気に変わると信じています。
「同意」という考え方のベースには「自己決定権(オートノミー)」という考え方も存在します。これは暴力を恐れたり、他人に自分の運命が決められたりすることなく、「自分の人生、自分の体に関することを自分自身で選択していい」と自分の意志に宿る力のことを意味します。