食事は、外食か弁当ばかり。家族に任せっぱなし。いざ作っても、正解がわからない……。便利な時代になろうと、現代人の料理の悩みは尽きない。
「少ない材料で作れる」「時短」「ボリューム満点」と3拍子そろったイタリア料理こそ、自炊の突破口だと提案するのが『プロの味が最速でつくれる!落合式イタリアン』。本書は、イタリア料理界のレジェンド・落合務氏の初自炊本だ。厨房だけでなく、自宅の自炊生活を経て辿り着いた、究極の最小限レシピが凝縮している。料理人人生60年の今、「こだわりは手放した」と語る落合シェフの原点とは? 修業時代の半生コラムをお届けする。

空気を読まない、すぐサボる、仲間に優しい。落合シェフがイタリアから学んだことPhoto: Adobe Stock

「好きなだけイタリアで修業してこい」

 フランスから帰国すると、数か月後にまた、社長の桂さんに呼ばれた。「落合君、もう一回旅行してきてくれないか。今度はイタリアへ」。しかも「気のすむまで向こうにいて、イタリア料理を学んでもらいたいんだ」という。社命だから「わかりました」と答えるしかない。

 イタリアで修業したのは、1978~1981年の約3年間。渡航費は会社が出してくれたし、僕がいない間もずっと、家族が暮らすために給料も支給されていた。

 それでツテはなかったけれど「俺、日本人。仕事欲しい。お金いらない。ご飯食べたい」の4つの言葉だけで、僕はイタリアのレストランを渡り歩いた。厨房に入れてさえもらえれば、悪いけどイタリア人より仕事は早いし、魚の処理もできるし、盛りつけもきれいにできるし、洗い物も掃除もきっちりするから、どこでも重宝がられるわけさ。

日本人と真逆のイタリア人から学んだこと

 イタリア人はみんな優しくて、向こうにいる間に嫌な目にあったことは一度もない。同じ服ばかり着ている僕に仲間が「これ着ろよ」と穴の開いたセーターをくれたり、古い海パンをくれたり。仕事終わりにはたいてい、誰かが車で僕をアパートまで送ってくれる。わざわざ遠回りしてね。

 イタリア料理をとことん学んだ。パスタのゆで湯に塩をしっかり利かせること、アルデンテの固さ、じっくり焼いたパプリカの驚くべきおいしさ……。仕事を終えてアパートに帰ると、その日に覚えたことをノートにすべて書いた。

 ローマのレストランの厨房で「俺はサルデーニャから来ているんだけど、地元にこういう料理があってさ」という話を仲間から聞くと、それ、食べに行かなくちゃまずいよなと思って、いろんな土地へ行って働いた。

 ナポリのイスキア島、シチリア、シラクサ、カステリーナ・イン・キャンティ、フィレンツェ、ボローニャ、ベネチア……。たいてい、そのときに働いている店のシェフが「ここに行くといいよ」と次のレストランを紹介してくれるから、あちこちで修業ができたんだ。

空気を読まない、すぐサボる、仲間に優しい。落合シェフがイタリアから学んだことイタリアの料理修業。ツテもなく、飛び込みで店を探した
空気を読まない、すぐサボる、仲間に優しい。落合シェフがイタリアから学んだこと最初の店「チェレスティーナ」の厨房にて

(本稿は書籍『プロの味が最速でつくれる! 落合式イタリアン』の一部抜粋・編集したものです)