定年後も自分らしく生きるために、早いうちから「もう一人の自分」を発動させることを提唱するのは、25万部超のベストセラー『定年後 - 50歳からの生き方、終わり方』などの著書がある楠木新さん。果たして自分にそんなことが可能だろうか?「もう一人の自分」を見つけるコツについて、楠木さんの著書『定年準備 - 人生後半戦の助走と実践』(いずれも中公新書)より一部をご紹介する。(書籍オンライン編集部)

【『定年後』の著者・楠木新さんに聞く】定年後に備えて「もう一人の自分」を持つコツ写真はイメージです(Adobe Stock)

「諦めない」ことが大切

 定年後に備えて「もう一人の自分」を持つなんて、自分にはそんな余裕はないと思っている人も少なくない。

 50代であれば親の介護で大変な方も多いだろう。私が50代半ばの時の同窓会における近況報告では、ほぼ3分の1の人が介護のことを語っていた。郷里にいる親の面倒を見るために毎週末に帰省している人もいた。まだまだ子育てに追われている人もいるかもしれない。

 それよりも何よりも、与えられた職責を果たすために一日のほとんどの時間を組織で過ごさなければならない人も少なくないだろう。自らの時間であるはずなのに自分でコントロールできないことが多すぎるという嘆きはもっともなことだ。私自身も何度愚痴をこぼしたか数え切れない。

 しかしそれでも諦めないことが大切だ。「もう一人の自分」というとすぐに副業をイメージしてなかなか大変だと思ってしまう人もいる。

 ある人は、劇作家で「北の国から」を描いた倉本聰氏を取り上げた新聞記事が面白かったという。彼がラジオ会社に在籍しながら倉本聰というペンネームでテレビの脚本を書いていたところ、それが業界で評判になる。そして直接の上司である部長から、「この倉本聰に会ってこい」という命令が出た。倉本氏は喫茶店で時間をつぶして、会社に戻って「たいしたやつじゃありませんでした」と部長に報告したというのだ。日本経済新聞の連載記事「私の履歴書」にあった一文だ。

 この倉本氏のようなレベルの高い「もう一人の自分」などふつうは目指せない。私も文章を書いていたのでそれは間違いない。もっとささやかなことで十分なのだ。大仰に考えすぎなくてもよい。

 実は私が「もう一人の自分」を初めて意識したのは、支店の次長職をしていた時の女性職員の働き方からである。彼女は家に小さい子どもがいたので必ず定時に仕事を終えて帰宅した。テキパキとした仕事ぶりと要領のよさは外から見ても目立っていた。上司と部下との個人面談の際に話してみると、子どもがかわいいので、とにかく仕事を早く終えて帰宅することを心がけているという。また家にずっといると子どもとの関係がべったりになりすぎるし、姑さんと離れる時間が持てるので会社に来ることも楽しい。おまけに給料までくれるのでこんないいところはないと笑顔で話してくれた。母親と会社員の立場をうまく両立させていた。当時は、私自身が会社中心の生活でいいのかと悩んでいた時期だったので、特に印象に残っている。

「いくつもの時間」を持つ

「management」は日本語では「管理」と訳される。たとえば大学の講座名も「ヒューマン・リソース・マネジメント」は「人的資源管理」だ。しかし私が聴講していた経営学の大学教授は、海外文献を読んでいると原文の「management」を「うまくやること」と読むとしっくりくるという。社員は主体的な姿勢になってうまくやるといった自己マネジメントをも身につけたいものである。

 大阪大学の総長も務めた哲学者の鷲田清一氏は、「いくつもの時間」というタイトルの文章で、「人は他の生きものともいっしょに生きている。老いた家族や幼い子どもとの時間、ペットとの時間、栽培している植物との時間。そういう時間のなかにじぶんをたゆたわせることもできずに、いまは仕事で忙しいから、しなければならないことがあるからと、耳を傾けずにそれを操作しようというのは、生きものとして歪なことである。余裕のなさから出たその言葉が、自身のみならず、同じ時間をともに生きる相手を想像以上に痛めていることを知るべきだ」と語っている(『日本経済新聞』2018年1月7日)。そして彼は最後に、「時間はいくつも持ったほうがいい。交替ででもいいが、できれば同時並行のほうがいい」と述べている。