しかし、「良心」の欠如という内心の問題に、心理学を代表とする心の科学はどのように対処すればよいのか。

「勝ち組」の人には
サイコパスが多い?

 もう1つ重要なことがある。それはサイコパスは社会的地位の高い人の中に多く存在すると考えられている点である。

 中野が著書の中で紹介している産業心理学者ポール・バビアクの研究によると、サイコパス的な傾向は社会一般よりもエグゼクティブ層の方が高いという。ただ、これはサイコパスは仕事ができるということを必ずしも意味しておらず、プレゼン能力と人心掌握に長けていることからくると考えられる。また、口先の上手さと変わり身の早さは、起業家向きとも言える。

 変化とスリルに惹かれ、自由な社風を愛し、部下を操り仕事をさせるリーダーシップがあるサイコパスのことを、バビアクは「起業家のふりをしたサイコパス」と呼んでいる。しかし、これはもはや「ふり」と呼べるのだろうか。既存のルールに囚われず、ビジネスモデルの変化に慌てふためくこともなく冷静に対応し、激烈なマネーゲームをむしろ楽しめるタイプの起業家は、ある意味ではサイコパス的でなければ務まらないように見えてしまう。

書影『ておくれの現代社会論:○○と□□ロジー』『ておくれの現代社会論:○○と□□ロジー』(ミネルヴァ書房)
中島啓勝 著

 起業家だけではない。政治の世界もそうではないだろうか。弁舌巧みに大衆人気を獲得し、様々な政党や派閥を渡り歩いても恥も矛盾も感じず、選挙と権力闘争にはめっぽう強いが政策実行力には常に疑問符がつく政治家。

 別に具体的に誰がそうだと言っているわけではない、ないのだけれど何となく「あの人かな?それともあの人も?」と思い当たる顔がいくつも浮かぶという人もいるだろう。

「ポピュリスト」と名指しで批判される政治家もまた、極めてサイコパス的な存在である。つまり、起業家であれ政治家であれ、現代社会においてサバイバルに適している「勝ち組」のメンタリティは、厳密に病理的な意味でサイコパスなのかどうかは別にして、極めてサイコパスに似ているということなのだ。