イオン交換膜法で作らない
「自然塩」を支えた“神話”

 当時は添加物や汚染などの食品公害が多発し、消費者運動が活発になっていた。

 マクロビ実践者らの強いリーダーシップと工業化に不信感を抱く消費者の声とが重なり合って誕生したもの――それが「自然塩」という名の、加工を施した特殊な塩だった。

「自然塩」が登場した翌1974年(昭和49)、専売公社は「つけもの塩」の販売を東京で試験的に始めた(現在も販売)。精製度の高い専売公社の塩は漬けものがよくつからない、サラサラしすぎて塩だけ沈んでしまうと家庭の主婦に評判が悪かった。そこで、ニガリに含まれる塩化マグネシウム、塩化カルシウムのほか、クエン酸やリンゴ酸を添加した大粒の塩を開発したのだ。

 1975年(昭和50)2月12日の読売新聞朝刊には、つけもの塩の評判を追った記事が掲載されている。紙面には次のような30代主婦の投稿が寄せられていた。

「専売公社の塩の新製品である添加物入りの『つけもの塩』をつかったら、つけ物がとてもおいしかった。やはり、ニガリ分のはいった自然塩でつけ物をつけるとおいしい、という“神話”は、本当だったのだなと思った」

 記事ではこの主婦の実感に対し、微量のニガリ分が漬けものをおいしくする事実は認められないという専門家の意見を引き、その効果に疑問を呈している。とはいえ、この投稿のように「精製塩でつけ物をつけると、塩からいばかりでつけ物にコクがないという“神話”は根強」かった。ニガリ分を添加した「自然塩」が「公社発売の食塩の2~6倍の価格であるにもかかわらず、年間ざっと600トンがさばけている」ほどの人気だった。

「自然塩」市場は、その後も自然食ブームに乗って拡大を続けた。

 とくに特殊用塩(編集部注/専売公社が扱う輸入原塩に添加物を加えて再製加工したもの)の製造が届け出制へと緩和された1985年(昭和60)以降、製造業者が乱立した。1987年12月2日の読売新聞夕刊には「“自然塩”ブームで泥仕合過熱」という記事がある。当時、約110社200種類の“自然塩”がスーパーやデパートに並び、競合他社に対して中傷じみた広告が相次ぐ事態が発生していた。