この「善悪とは何か?」という一見単純な話は、実は哲学者の間で長年の議論になっているテーマです。たとえば19世紀以前と20世紀で善悪の基準は異なります。

「なぜ社会にはやってはいけないことがあるのか?」という問題に対してイングランドの哲学者ホッブスは「万人の万人に対する戦い」という概念を提示しました。

 簡単に言うと人間が自分の利益のために何でもしていいという自然状態だと、他人が自分の持ち物を盗んだり、誰かがマイホームに住み着いて自分を追い出すようなことが日常的に起きてしまいます。

 何しろ、何をしてもいいのです。毎日が戦いになり、隣人はみな敵です。そんな世の中は大変なので、私たちは自由の中から「悪」を決めて、それを制限することで住みやすい社会を構築したという考えです。

 さて20世紀以降、世界が大衆の時代を迎えると以前にはなかった善悪が出現します。他人がそれを不快に感じるという基準です。

 わかりやすい例としてひとつ挙げさせていただくと、2年ほど前にSNSで話題になった「下着ユニバ事件」があります。テーマパークで下着を思わせる露出のコスプレで撮影したインスタグラマーの行動が炎上したのです。

 19世紀以前のホッブスらの基準で考えればなんら他人への危害のない行動ですが、それを私たちはなぜ「悪い行動だ」と感じたのでしょうか。

 ニーチェの道徳論の思想からそれを理解することができます。ちなみにニーチェは1900年に逝去した19世紀の哲学者ですが、来るべき20世紀の大衆化の時代を看破した思想家として知られています。

 ニーチェによれば大衆社会では「他と違う行動をする者は道徳的に悪だ」という考え方が社会に広がります。