また国家的事業にまで発展しなかったものの、この進歩的な思想にもとづく教育が多くの初等学校で採用されました。たとえばイギリス王位継承者や歴代の首相の多くが学んだイートン校では、進級に向けて左手で書く訓練を定めた時期があったといわれています。
そのいっぽう、この未来の人間像に対する批判も絶えませんでした。協会への「常識はずれの連中だ」との悪評、両手利きがもたらすと考えられてきた効能に対する疑問視……。
こうした逆風のみならず、道なかばにしてジャクソンが他界したこともあり、人びとの関心が遠のき、消滅する運命をたどりました。
20世紀初頭といえば世界各国で最も左利きが矯正された時期ともいえますが、それはさておき、ジョン・ジャクソンは自著において、ロンドンで開催された万国博覧会で日本の工芸品に強く感動し、「日本こそ両手利き文化の模範」と絶賛していました。
ともあれ、19世紀後半から20世紀前半にかけて「両手利き」の推進論者が掲げていた、左手教育がもたらすメリットをいくつか挙げてみます。
(1)両手を使えば身体のバランスがよくなるだけでなく、バランスのとれた左脳と右脳の発達が可能となり、ひいては知力・理解力・記憶力が増進する。
(2)両手を交互に使えるため疲労感が軽減する。
(3)大脳の機能障害(脳卒中など)による失語症の予防や軽減。
(4)人間個々の能力だけでなく国益も増進する。
これらを俯瞰すると、現代的な視点では大きく足りないことがあります。そう、大脳半球がもつ「もうひとつの能力」が語られていなかったのです。
手術で判明した大脳半球の左右非対称性
右脳は空間や図形認知を司る
霊長類のなかで唯一コトバを使いこなし、利き手についても右利きが多数派(マジョリティ)である人類。
ゆえに「右利きこそ人間としての進化の証左」であり、2つの大脳半球についても、右手のはたらきをコントロールする「左脳」には言語中枢があることから優位脳とされ、「右脳」はものいわぬ劣位脳とみなされていました。
また左利きについては右利きとは対照的に「右脳」に言語中枢があるのではといった推測程度の認識でした。
この長らく君臨してきた通説にコペルニクス的転回が訪れたのは1960年代のこと。