小川課長が見せた
札束のイリュージョン
目の前に、角形のザルに入った札束が到着した。
「お前は1万円札など10年早いわ。千円札で十分だ」
課長は無造作に札帯をほどき、かき回すと、無造作に取り出して、2つの紙幣の山を作った。それらを机の上でトントンと音を立てながら、丁寧に縦辺と横辺をそろえた。2つの紙幣束を左右両手に構えてこう言った。
「いいか、よく見てろ」
すると、左右両手の紙幣束がきれいに扇子の形に広がった。左右同時にである。これには私も驚嘆した。マジシャンのイリュージョンかとさえ思った。ディスコ「マハラジャ」のお立ち台に立つ女の子が扇子を持つように、開いた紙幣は実に見事で美しいものだった。
「目黒君も30年後にはできるさ」
その後、つきっきりで札勘定のやり方を指導いただいた。何が悪いのか、どこをどうすれば直るのか、わかりやすく的を射た説明のかいもあって、30年後どころかわずか1時間後にはできるようになった。あの11日間は一体なんだったのか?
目黒冬弥 著
「俺が見る限り、お前は凡人だ。普通すぎてつまらん。言ってる意味わかるか?すんなりできるわけでもなく、できないというのとも違う。まあ、普通だってこと。いいか、テストとかは落ちるなよ。みっともないからな。落ちただけで、印象が悪くなる。銀行ってのはそういうところだ。たかが札勘定、されど札勘定だな」
あれから30年経った今。私が在籍するみなとみらい支店では、一応ではあるが、誰よりも正確に早く札勘定ができる。10年前、小川課長は肺がんを患い亡くなった。奥様からの喪中はがきでそれを知り、札勘定を指導して下さった日のことを思い出した。
今、私は当時の小川課長と同じ職責にある。彼と同じような思いで新人に接せられているかどうかは、天国の小川課長が見定めることだ。ただ、そうありたいとはいつも思っている。
この数十年に、数多くの辛苦があった。私は今日もこの銀行に感謝して、懸命に勤務している。
(現役行員 目黒冬弥)