何を食べるか・何にお金を使うか・どこに行くか…こうした私たちの日々の決断は「自分の意思だ」と思いがちだが、実は日常に潜むさまざまな認知バイアスによって操作されている――そう解き明かすのが、人間の行動における「リアルな心理」や「脳のメカニズム」を経済理論に応用する行動経済学だ。この分野の知見は、公共政策やビジネスに応用されるケースが増えている一方で、人々の判断を故意に誤らせる「ダークパターン」として悪用される例も散見されており、いま注目のテーマである。
そこで今回は、「時間を忘れてのめり込んだ」「面白い話のオンパレード」と反響を呼んでいる行動経済学の入門書『勘違いが人を動かす』の著者エヴァ・ファン・デン・ブルックさんとティム・デン・ハイヤーさんに、認知バイアスの影響力などについて聞いてみた。(聞き手・構成/ダイヤモンド社 根本隼)
「学者とビジネスパーソン」がタッグを組んだ
――本書を書くにあたって、どういう経緯でお2人がタッグを組むことになったのでしょうか?
エヴァ・ファン・デン・ブルック(以下、エヴァ) たまたま、2人とも同時期に、行動経済学の入門書を企画していました。そこで、それを知った出版社が「共著にしてみてはいかがですか?」と私たちを引き合わせてくれたのです。
私は行動経済学者として、脳の仕組みや認知バイアスに関する「アカデミックな知見」を持っていて、それに対して広告業界でキャリアを積んできたティムは、そうした知見が「ビジネスの現場」でどのように活用されているかに精通していました。
2人の専門知識を持ち寄れば、行動経済学を様々な切り口で語れるので、本として奥行きが出て面白いだろう。そう考えて「共著にチャレンジしてみよう」という話になったのです。
ティム・デン・ハイヤー(以下、ティム) 「人に行動を促す」のが広告の役割なので、昔から行動経済学には興味を持っていました。
なので、専門家であるエヴァとの共著が決まってすごくワクワクしました。実際、エヴァが提示してくれた理論やコンセプトに対して、私がその実用例を示すという感じで、執筆作業はとても楽しかったですね。
「認知バイアス」は普遍的なテーマ
――「認知バイアス」と聞くと、小難しいようなイメージを持っている方もいると思います。でも、私たちにとって身近なテーマなんですよね?
エヴァ そうですね。とても身近ですし、すべての人間にとって普遍的な現象でもあります。文化の異なる国・地域間でも、人間の脳の仕組みに違いはありません。なので、私たちは誰ひとり例外なく、仕事や日常生活などあらゆる場面で「認知バイアス」の影響を受けているのです。
そのため、本書で紹介した数々の認知バイアスは、世界中の誰でも「今日から使えそうだ」とか「引っかからないように注意しよう」と自分ごととして読むことができるのです。
ティム これまでに出版された行動経済学本は、内容が専門的すぎたり、「人間の意思決定を歪める」として認知バイアスを非難する論調だったりすることが多く、一般読者が楽しく学べるものが全然ありませんでした。
認知バイアスの仕組みを知っておくことは、日常生活にとても役立つということを、もっと多くの人に知ってほしいですね。
ローンを必要以上に借りる人が続出した「すごいカラクリ」
――「人に教えたくなる」ような面白い認知バイアスの例を、何か教えていただけますか?
エヴァ 「デフォルトの選択肢」にまつわる認知バイアスは、誰にとっても身近だと思います。
これは、私自身も学生のときに引っかかってしまったケースなのですが、かつてオランダ政府の学資ローンの申し込みページにはこう記載されていました。
[✓]上限額まで
[ ]その他 希望額( )
これは、形式上は二択ですが、1つめの選択肢に「デフォルト」でチェックマークが入っています。つまり、何も操作しなくても、「上限額まで」借りることができるわけです。もし上限以下を希望するなら、「その他」に自分でチェックを入れて、さらに希望額を書き込む必要があります。
まだ10代だった私には、自分に必要な金額を予測するのが難しかったですし、他の学生より少なく借りるのも損だと思ったので、デフォルトのまま上限額まで借りました。実際、私だけでなく、68%の学生が「上限額まで」を選んでいたというデータが出ています。
このようにデフォルト以外の選択肢をわざわざ選ぶ人が少ないのは、脳には簡単なこと、楽なことを望む性質があるからです。もっといえば、「何もしなくていい」なら、それが脳にとってベストだからです。
これは、身についてしまった悪習慣からなかなか抜け出せないのと同じメカニズムといえます。わかっていても「ついやってしまう」のは、脳は新たな行動を選ぶのを好まないからです。どんなに頭のいい人でも、デフォルトの選択肢が目の前にあると、思考力が低下するのです。
しかし、その後に申し込みページからデフォルトのチェックマークが外され、「上限額まで」か「その他」を自分でクリックして選ぶ仕組みになりました。その結果、「上限額まで」を選んだ学生の割合はなんと11%にまで激減したそうです。
つまり、ある意味では、デフォルトの選択肢によって「必要以上の額」を借りる学生が続出していたわけです。
――これはすごいですね。たった1つのチェックマークがあるかないかで、それほど大きな影響を認知に与えるとは。
エヴァ その通りです。当然、政府としては貸し出すお金は少ない方がいい。しかし、人間の脳のメカニズムについて知識不足だったために、そうとは知らず、自分たちにとって不利益な方向に認知バイアスを使ってしまっていたわけです。
ユーザー目線でいえば、申し込みサイトなどで初めからチェックマークが入っている選択肢には要注意だということが、この話から教訓として引き出せると思います。
本書には、このように頭に残りやすくて、読者に学びがあるような実例を数多く掲載しています。
(本稿は、『勘違いが人を動かす』の著者インタビューより構成したものです。)
エヴァ・ファン・デン・ブルック
行動経済学者。ユトレヒト大学講師。
人工知能を研究し、行動経済学の博士号を取得。大学、政府、企業での応用行動研究にお いて15年の経験を持つ。消費者がより持続可能な選択をすることができるよう、より良い 行動インセンティブを設計する組織を支援している。オランダ政府のキャンペーンなどに も携わる。
ティム・デン・ハイヤー
クリエイティブ戦略家、行動デザイナー、コピーライター。広告代理店B.R.A.I.N. Creativesの創設者。
ハイネケンやイケアなど、世界的に有名なブランドの広告に20年間携わる。 ニューヨークからカンヌまで、数々の賞やノミネートを獲得してきた。 ライデン大学オランダ語言語学修士号。マスコミュニケーション副専攻(ユトレヒト大学)。行動デザイン(BDA)、行動経済学(トロント大学)、神経マーケティング&消費者神経科学(コペンハーゲン・ビジネススクール)の修了証書を取得。