バブル崩壊直後の東京での
開催が決まった都市博

 当時、全国のあちらこちらで地方博ブームが起きていた。しかし、博覧会を開催しヒト、モノ、カネを呼びこむ方法は、地方振興の手段としては一理あっても、バブル崩壊直後の首都東京でやろうという発想が理解できなかった。

 ところが1993年、ついに東京で都市博を開催することが決定した。

 都市博とは、1996年に開催されるはずだった世界都市博覧会のことである。当時の東京都知事は鈴木俊一氏。1979年から4期16年間の長きにわたり、都知事として君臨した人物だ。これほどの人物でも、在任中に首都圏で万博を開催することが悲願だったらしい。

 1970年の大阪万博では事務総長を務め、成功に導いた自負があったのだろう。在任期間が長くなると、圧倒的に支持されていると勘違いする政治家が、いつの世も多いものだ。

 もちろん、知事一人で巨大プロジェクトを計画するわけではない。ただ、地方博開催を選挙の公約に掲げて一時だけの恩恵を受けるのは、持続的な地方創生とは到底言い難い。開催に向けてカネを集めることにはたけていても、住民のためには何もならない。それどころか、後述するが、負の遺産のみが残ることになる。そこに「政策」が感じられないのだ。

 こうしたハコモノ行政の末路は悲しみにあふれている。1980年代に地方都市で盛んに行われた地方博には、地方振興という意義があった。地方都市に目を向けてもらうために地元の特産品をアピールしたり、地方拠点として進出してもらおうと大企業を誘致したりする契機になっていた。

 だが、博覧会の後は巨大な「ハコ」だけが残る。目玉だったパビリオン会場に長蛇の列ができていた数カ月間が過ぎると、元の冴えない地方都市に逆戻りする。兵どもが夢のあと。その後は、利用されることのない国際会議場やアリーナ施設などの巨額な維持費と地方債の償還で、財政は火の車になる。

 実際、有明やお台場などの臨海副都心で、新交通システム「ゆりかもめ」や商業・公共施設の建設が、雨後のタケノコのごとく進んでいた。まさにハコモノ行政の極みである。