投資の世界では、途中の経過はどうであれ最終的に「どれだけお金が増えたか」ですべてが測られる。そのため、投資商品を選択するとき、「いかに効率的にお金を増やすか、いかに手数料が安いか」に目が向いてしまい、標準的で均質的な投資商品にお金が集中する。

 まるで皆が金融市場というレストランで、同じ服を着て、コスパのよい同じオススメ料理を食べているような光景にも映る。投資商品となると、人の目につくものではないのでさほど気にならないのかもしれない。

 しかし、皆が個性を持たずに同じ思考をしていても新たな価値が生まれることがないように、同じ方向に向かってお金が流れても新たな価値が生まれることはない。個性や多様性、その背景にある自分らしさや、社会に目を向ける視座が求められるいまの時代において、違和感を感じるのは僕だけだろうか。

 投資には、その人の考え方や価値観、さらにいえば人間性が面白いように現れる。お金儲けだけを考える人は市場の値動きに一喜一憂するし、自分の軸を持たず周りに流される人は、周囲の声に惑わされて右往左往するだろう。自分なりの「投資の判断軸」と「投資から眺める世界観」を持つ人が投資の成功者になる。

 それを、僕は「投資観」と呼んでいる。

投資は「社会をよくする」ものなのか?

「自分が教える生徒は、投資でひどい目にあった。なんで投資の会社なんかに人前で話をさせるのだ。このような集まりには参加できない」

 鎌倉市のあるイベントで、鎌倉投信の取り組みを紹介したときのことだ。大学で教鞭(きょうべん)をとっているという参加者の一人が、このように言い残してその場を立ち去った。「社会をよくする投資のありかた」を地元鎌倉からめざしていると話をしたつもりだったが、投資についていろいろな経験や考えを持つ人がいることへの配慮が足りなかったと反省した。同時に、「投資は悪」、そうした感情をいだく人だからこそ、「社会にとっていい投資とは何か」、をともに考えたいとも感じた。

 投資信託とは、たくさんの人からお金を預かり、さまざまな有価証券に投資をしてお金を増やし、その利益を投資家であるお客様に還元する投資商品だ。日本で、個人が購入できる公募型の投資信託は、6000近くある。その中の1つが、鎌倉投信が運用・販売する「結い2101(ゆいにいいちぜろいち)」だ。