東日本大震災時から
繰り返されてきた「同じ課題」

 能登半島が奥まっているのはわかりきっていて、地震が起きれば道路が遮断されて物資が届かなくなるなどということは、はるか昔から指摘されてきたことだ。さらにもっと厳しいことを言わせていただくと、地震が起きてから「ヨーイドン!」で仮設住宅建設に着手しても、膨大な時間がかかることもわかりきっていた。たとえば、今から13年前の東日本大震災では1カ月後にこんな問題が起きていた。

「東日本大震災の被災地で、応急仮設住宅が不足している。被災各県は現時点で合計6万戸超が必要としているが、建設のめどが立ったのは1割程度にすぎない。国土交通省は2011年4月5日、震災後の5カ月間で6万戸を供給する目標を打ち出したが、建設の遅れが懸念されている。合板などの資材がひっ迫していることに加え、建設に適した用地確保が難しくなっていることが要因だ」(日本経済新聞2011年4月11日)

 ……と分析をされたところで、仮設住宅ができるわけでもない。結局、あれが悪い、これが問題だとワーワーやっている間に、被災者の中には半年以上も、体育館でダンボールの仕切りによる不自由な生活を強いられた人もいた。災害関連死も3792人にのぼった。

 この13年前の教訓を受けて、政府や全国自治体では対策が検討された。地震や津波が起きた際、人手不足のこの国ではほぼ100%の確率で「仮設住宅が不足して体育館で雑魚寝状態を半年続けて災害関連死が増える」という未来がやってくるからだ。

 しかし、検討されただけだった。

「予算がない」「人手がない」「何をすればいいかわからない」という感じで検討の段階でウヤムヤになってしまったのである。

 つまり、石川県の「地震から半年で避難所暮らし2086人」というのは、地震大国として手をつけなくてはいけない対策を、やらなかった結果であって、「しょうがない」で済まされるような話ではないのだ。