「しょうがない」で全てを
正当化してはいないか
かつて外国人の経営者にインタビューをしていて、「日本人の“しょうがない”は非常に興味深いですね。めんどくさくてやりたくないことや、改革をしなくちゃいけないけれど反対が多くて手をつけたくないことも、“しょうがない”と言うと、なんとなく正当化できるじゃないですか」と言われて、妙に納得にしたことがある。
確かに、我々日本人は「しょうがない」で生きている。地震から半年経過してもなお2000人以上が避難所にいると聞いても、自治体職員や建設業の人たちだって頑張っているんだと言われれば、「しょうがない」とあきらめる。ムービングハウスがなかなか普及せず、いまだに体育館で雑魚寝スタイルの避難所があると聞いても、「自治体は財政がひっぱくしていて予算も人員もない」と言われたら、「しょうがない」と納得する。
政治や社会問題もそうだ。不正などが発覚した当初はワーワーと大騒ぎをしてみるが、マスコミやら専門家から「できない理由」「変わらない理由」を説明されると、「じゃあ、しょうがないか」とおとなしくなる。
そして、忘れる。目の前の災いや不幸を過去のものとして受け入れて、前を向いて生きていく。そんな「しょうがない」に象徴される日本人の精神性は、「災害大国」がゆえに育まれたのではないか、という意見もある。
鎌倉時代の地震や疫病などを綴ったことから、日本初の災害ルポと言われる鴨長明の『方丈記』にはこんな一説がある。
「すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし」
大地震の直後は人々も、世の無常を口にしたりいろんなことを語っていたが、時間が経過すると、地震のことなど誰も振り返らない。つまり、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というやつだ。それはある意味で「前向き」で精神衛生上的にもプラスに働いていたかもしれない。
ただ、これは「復興」という点ではマイナスだ。被災地で苦しむ人々を少しでも多く救っていくには、台湾のように過去の被災地支援から学んで、しっかりと官民で準備をしなくてはいけない。
……と苦言を呈したところで、能登の復興が急速に進むわけでもない。マスコミ報道を見ても、被災地の現状は忘れかけられているので、次の巨大地震でも同じように「仮設住宅が足りない」と言いながら、被災者は体育館で雑魚寝をしているのだろう。
この国で生きていくうえでは、このあたりは「しょうがない」と受け入れていくしかないかもしれない。
(ノンフィクションライター 窪田順生)