日本にゆかりのある見どころも
今の香川県にあたる四国讃岐国で生まれた空海(弘法大師)は、31歳のとき留学生として唐を目指しました。紆余曲折の末、なんとかたどり着いた唐の都で、2年にわたり仏教を学んだのがこの青龍寺です。香川県の善通寺は、青龍寺を模して造られていると言われているそうです。
空海の縁で、1982年には空海記念碑が日本の真言宗各派から贈られました。記念碑の周囲四隅に置かれた丸いオブジェは、四国4県を表しているとか(どれが香川でどれが愛媛、高知、徳島なのかはわかりませんでした)。
1984年には恵果・空海記念堂が建てられ、さらには香川県の善通寺元法主により、四国八十八ヵ所霊場の零番札所とされています。零番の判子を御朱印帳に押してもらえますので、八十八ヵ所を既に巡礼された方も、これから巡ろうというお遍路さんも、一度足を延ばしてみてはいかがでしょう。
所在地:西安市雁塔区鉄炉廟村
時 間:8:30~18:00(入場は17:00まで)
※桜花園は8:30~17:30(入場は17:00まで)、博物館は9:00~17:00(入場は16:30まで)
料 金:無料
興慶宮公園は、唐代の宮殿跡を転用して造られたという、西安でいちばん広い公園です。敷地の一角に、遣唐使として有名な阿倍仲麻呂を記念する白い碑が立っています。こちらは「祈念碑」と中国語で書かれていますね。
訪れた4月上旬は、遊歩道の周囲に植えられた桜がきれいに咲いていました。「東京桜花」と名づけられた木もありましたが、ほかの木よりも開花が早いらしく、葉桜になったところでした。
陝西省で盛んに栽培されているというチューリップがちょうど咲き誇っていて、この季節にはチューリップ目当ての観光客も多く訪れるそうです。
所在地:西安市咸寧西路55号
時 間:6:00~22:00
料 金:無料
大興善寺は、西晋の時代に建立され、1700年以上の歴史を誇る密教寺院。随や唐の時代にこの寺がインドの高僧を迎えて経典の翻訳したり仏法を広めたりする場となったため、中国の密教発祥地とされています。西安に現存する最古の寺のひとつでもあります。
訪れた人々が熱心にお参りしている姿が印象に残るお寺で、特に若い参拝客が多く見受けられました。線香を焚いてお祈りしたあと、本殿の前で膝をついて投地しながら拝む様子を目の当たりにすると、物見遊山でちょっと立ち寄りましたというのが場違いに思えるくらいです。
密教寺院らしくマニ車も備えられていますが、天王殿の周りはすき間がなくて歩けないため、代わりに巨大なマニ車が向かって右側に置かれています。
それほど広くはない敷地内に多くの仏様が祀られており、その一つひとつを解説した赤色のカードが置かれているので、興味のある方は1枚ずつもらっておくとよいでしょう。
なお、先に紹介した青龍寺で2年学んだという空海ですが、唐に着いて最初に密教を学んだのはここ、大興善寺とのこと。日本人の寄進した空海像も祀られています。
所在地:西安市雁塔区興善寺西街55号
時 間:8:00~17:00
料 金:無料 ※最新情報の取得はWeChatで「大興善寺」を検索
小雁塔と並び唐の時代から今に受け継がれる建物のひとつで、世界文化遺産にも登録されているのが大雁塔です。大慈恩寺の境内にそびえ立つこの塔は西安のランドマークであり、古都・長安のシンボルでもあります。
『西遊記』でおなじみの三蔵法師が、インドから持ち帰った経典や仏像を納めるために建てられたとされています。経典や仏像は、唐代末期の戦乱で散逸してしまったそうです。
ちなみに三蔵法師の遺骨は現在、中国とインド、台湾、そして日本の全13ヵ所で保存されているとのこと。
もともとは亡くなられたときにここ大慈恩寺で法要が行われ、長安郊外に埋葬された5年後に遺骨を納めるための舎利塔が別の場所に建てられたのですが、これもまた戦乱のどさくさで持ち去られ、長らくの間行方知れずとなったり見つかったりまた失われたりを繰り返した後、日中戦争の最中に旧日本軍が南京で発見、当時の中国政府と折衝の末に一部を南京で供養し、一部を北平へ移し、残りを日本に持ち帰って埼玉県の慈恩寺に納めました。戦後、慈恩寺にあった一部を台湾に譲り、さらに一部を奈良県の薬師寺に分骨して今にいたります。
話を戻して、大雁塔まで行ったらぜひとも上まで登ってみましょう。木製の狭くて急な階段をがんばって登ると、各層から東西南北の景色を見渡すことができます。唐の時代にはどんな景色が見えていたのか、想像をふくらませてみるのも楽しいことでしょう。
所在地:西安市雁塔区大慈恩寺内
時 間:8:30~18:00(入場は17:00まで)
料 金:大慈恩寺40元/大雁塔に登るのはプラス30元(塔の下で別途支払う)
※最新情報の取得や予約はWeChatで「大雁塔」を検索