西安を訪れたらはずせない!兵馬俑
拡大画像表示
案内してくださったガイドさんがおっしゃるには、兵馬俑が現代に姿を現した経緯は次のとおりです。
地下水の豊富な西安で、小麦農家の楊さんらが作物のための井戸を掘ろうと計画、風水師から聞いた場所をわずか3m掘ったところで遺跡を発見しました。いったん埋め戻し、模様の施された欠片を村長に届けると、それを携えた村長は自転車で50km激走して政府に報告。届けられた欠片を見て驚いた学者がすぐに村にやってきて、5m掘っただけで兵馬俑を見つけたのが第一号杭の発端となりました。その後も周囲からどんどん発掘され、現在は第二号杭、第三号杭まで掘り進められています。
こうして偶然に発見された兵馬俑は、「世界7不思議」に次ぐ8番目の不思議、と言われているそうです。
兵馬俑を擁する秦始皇陵博物院には毎日10万人ほどが鑑賞に訪れるとのことで、以前筆者が訪れたときには正面にバスをつけてすっと入れていたのが、今ではちょっと離れた駐車場から商店街を歩き、正面の左横から入るという動線となっていました。
観光客が増えているというのはまったくそのとおりで、前回2019年3月に訪れたときもそれなりに混んでいると思ったのですが、まるで比較にならないくらいの混みっぷりで、第一杭の正面も左右の通路もぎゅうぎゅう詰めの大混雑でした。
今回は第一杭から、第三杭、第二杭の順で鑑賞しました。ガイドさん曰く、混んでいるときはこの順のほうが回りやすいとのこと。
拡大画像表示
大人気の兵馬俑は、日本の博物館にもしばしば巡回してきているので、ご覧になった方も多くいらっしゃることでしょう。先般、東京上野の博物館に来ていたときに筆者も見に行きました。2019年に現地で見たのと同じ遺物や兵馬俑が飾られていて、懐かしく鑑賞しました。
しかし、金属製の遺物は確かに現地で見たそのものなのですが、兵馬俑はどこか違う感じがするのです。たとえば「跪射俑(跪いて弓を射る前の構えをしている)」をよくよく見てみると、現地では足の裏に施されていたモールド(画像左)が、上野に来ていたものにはありません。鎧にうっすらと残っている顔料もありませんでした。どうやら「よく似た別の人」が世界の博物館を巡業している様子です。
画像は第三号杭の建物内に飾られている兵馬俑です。いずれも細工が精緻で、ほんのりと色も残っていて、いわゆるできのよい一線級の兵馬俑を鑑賞したければここに来なければなりません。
高級軍吏俑の目をアップで見ると、描かれていた瞳がうっすらと残っているのがわかります。
帰りは、来たときに通った商店街を抜けて駐車場へ戻ります。途中に軒を連ねる土産屋では、兵馬俑の大小フィギュアが揃っています。足の裏も微妙ながら再現されているものもありますので、気に入った品が見つかればぜひ。ただし、素材が土のものは衝撃に弱いので、プチプチなどの緩衝材を持参することをおすすめします(紙で包んでくれますが、それだけでは日本までどころか泊まっている西安市内の宿までももたないことがあります)。