日本人と中国人という違いだけで、日本メディアが報じる命の重みがなぜこれほどまで異なるのか。かつて、「大本営発表」を垂れ流しにしたことを反省したはずのマスメディアは相変わらずで、公館とメディアの役割の違いを意識した上で「ことの重大さ」に照らしたニュース報道が今もできないらしい。
同時に中国メディアも検索したのだが、事件の翌朝の時点では中国語の報道はまだなかった。その後、お昼までの時間に、まず、日本での報道を受けた形でそれを直接翻訳して伝えるネット記事が出現したが、大手中国メディアの報道はそれよりも遅かった。そのタイムラグの間に、某日本メディアが運営する中国語配信記事が流れたが、タイトルは相変わらず「日本人親子が襲われケガ」をそのまま中国語化しただけで、重体に陥っている中国人スタッフについては日本語版に則したままの本文1行だけ。その傷の重さに比べて、軽い扱いのままだった。
国籍は違っても、同じ生命である。重体の報道がなぜこんなに軽いのか? もし、それが日本人ならば、必ずタイトルになっていたはずだ。相手が中国人ならそれほど重大ではないという判断だったのだろうか?
容疑者を止めようとして
亡くなった彼女の名前は「胡友平」
事件翌日25日の午後過ぎになって、中国メディアの報道が流れ始めた。少なくとも筆者のSNSのタイムラインは、この話題で持ちきりになった。
蘇州という「日本人に優しいはずの都市」で事件が起きたことに驚き、取り押さえられた容疑者が中国人で、さらにバスに乗り込もうとした容疑者を止めようとして中国人女性職員が刺されて重体となっていると伝えられたことに、「中国人職員は容疑者によって辱められた我々のメンツを挽回してくれた」という声が巻き起こった。
その中国人職員の氏名が「胡友平」だと明らかになったのは、その死を伝える記事によってだった。病院で治療を受けていた彼女が「亡くなったらしい」という情報が流れ始めたのは27日ごろで、その頃には中国のネットでは、「彼女についての詳細を公表しろ」の大合唱が流れていた。
日本人には奇妙に思えるかもしれない。日本では襲われた被害者親子の個人情報を「公開しろ」という声は起こっていないからだ。それなのに、なぜこぞって中国のネットユーザーたちが中国人職員の情報公開を求めたのか――それには理由があった。