犠牲者たちはただの数字ではないし
「名無しの権兵衛」でもない

 被害者を人数や「住民」などといった曖昧な言葉で形容する――すっかりそんな習慣になじんでいた中国だが、そこに楔を打ち込んだのが2008年の四川大地震だった。地震で「おから工事」と呼ばれた手抜き工事で建設された校舎が崩壊し、その下敷きになってたくさんの子どもたちが亡くなった。その数は一つや二つではなかった。慌てた地元当局は、その被害を人数でのみ語り、詳しい情報を求めて遺族を取材しようとしたメディアをさまざまな形で妨害した。

 そんな現地政府の対応に反発し、芸術家のアイ・ウェイウェイ(艾未未)は亡くなった子どもたちの遺品を集め、一人ひとりの氏名と個人情報を集めて展示し、「亡くなったのは数じゃない。一人ひとり名前を持った現実の存在だ」と主張した。また、またTwitter(当時)を使って、亡くなった子どもたちの誕生日がやってくると、その氏名をつぶやく活動を始めた。

 一人ひとりの個人情報が明らかになれば、当局が数字をごまかすこともできなくなる。なによりも現実の顔や姿、そしてその氏名で追悼することによって、亡くなった子どもたちの存在を、遺族たちにも、また社会的にも記憶として残すことができるという試みがそこから生まれた。米国で暮らした経験を持つ艾らしい、「個」を潰してしまう中国的な習慣に抵抗する主張だった。

 その後、2010年に起きた上海のマンション火災でも、やはり当局は被害者数でのみ被害を語り、ならばと遺族や関係者への取材を始めたメディアを妨害した。そこに、市民から「被害者は数ではない。一人ひとり氏名を持った存在だった」「犠牲者名を公開しろ」という声が広がった。

 また、記憶に新しい新型コロナウィルスの感染が始まった時にも、ネットで亡くなった知り合いについて、そしてどのような状況下(遺体で発見された/病院の待合室で亡くなった、など)で亡くなったのかの情報提供を呼びかけ、それをネットで公開する活動が起こった。しかし、当局がサイトを閲覧不能にしたり、さらに大感染が広がったために政府発表の数字やデータは正しいのかどうかを検証することができなくなり、いまだに人々は半信半疑のままだ。

 こうした経験を経て、人々はもしかしたら自分もそんな不幸な事件に巻き込まれ、「名無しの権兵衛」で葬られるのかという不安を抱くようになった。そして、次第に多くの人たちが事件被害者を無名のままでやりすごすのは被害者に対する不敬だと考えるようになったのだ。