中国政府にとって「都合が悪い」事件は
情報公開も報道も遅れるし、軽く扱われる
事件の発生は間違いなく、中国当局を困惑させた。だからこそ、公衆の面前で起きた事件であるにもかかわらず、中国国内での報道は日本のそれよりも遅れた。それは、間違いなく当局が情報を出し渋っていたからだ。当局にとってこれは大変バツが悪い事件で、「取り扱い」に困ったからであろう。
中国ではとかく、当局にとって都合の悪い事件は軽く扱われる傾向にある。そんなとき、被害者の庶民は単純に「住民」と呼ばれたり、あるいは「1人」「2人」などの人数だけで発表される。そうやって、当局は「事件」は伝えても、それができるだけ社会の記憶に残らないようにする。記憶に残らなければ、それによる影響も少なくて済むからだ。
特に、今回のように外国人がターゲットにされた事件は、当局にとって非常に頭が痛いケースである。外交問題に関わるからだ。今回、外交部は捜査状況の報告もせず、真っ先に「偶発的な事件」と強調したのもそのせいである。
当局は、蘇州での事件の2週間前に吉林省の公園で起きた米国人教師刺傷事件についても、最初から「偶発的事件だ」と主張しており、ならば「なぜこれほど頻繁に外国人を狙った偶発的事件が起きるのか?」といった分析すら許していない。
人々はこれまでの経験から、当局は事件をできる限り人々の記憶から遠ざけ、軽く処理しようとしていると見抜いた。だからこそ、事件の被害者を一人の個人としてその存在をきちんと社会に記憶させるために、「氏名を公表しろ」と声を挙げたのだった。