元首相も入居していると言われる“超高級老人ホーム”が、近年注目を集めている。これらを徹底取材したのが、ノンフィクションライター甚野博則氏による『ルポ 超高級老人ホーム』だ。本記事では、発売前から話題となっている本書の出版を記念して、内容の一部を抜粋し再編集してお届けする。なお、本書では施設名を実名で掲載している。

成功者のみが入居する「高級シニアマンション」。入居者カーストが見え隠れする全然羨ましくない実態職業に貴賤なし、とは言うが……(Photo: Adobe Stock)

裕福な男女に囲まれ……

「僕は昔、クレディ・スイス銀行で東京支店長をしていましてね」

 しわがれた声で自らの経歴を話し始めた徳川秀夫さん(仮名)は、終戦前の昭和19年に生まれた。徳川さんと会ったのは、静岡県熱海市にある老人ホームの応接室だ。

 テーブル越しに向かい合った徳川さんの両脇には、5名の男女が並んで座っている。この老人ホームで暮らす居住者たちだ。

 小さく「ITALY」とプリントされた上品なセーターを羽織った徳川さんを中心に、ジャケットを着用している男性や、胸元に大きな花の飾りを付けた女性たちが静かにこちらの様子を窺っている。

 皆一様に、老人ホームで暮らす高齢者といった弱々しいイメージはなく、むしろ壮健なオーラを放っていた。

 ここに入居した理由からお話を聞かせてくださいと私が全員に語りかけると、中央に座った徳川さんが口火を切った。

「我々はここを見に来たとき、もう借景がいいんで一発で決めちゃったんです」

 一同、徳川さんの発言内容に異論はないようだ。黙って首を縦に振っている。

 他の皆さんはどうでしょうかと私が再び問いかけると、一番端に座っていた女性が「私も同じです。ここからの景色が本当にすばらしくて」と続けた。

相模湾を見下ろす高級施設

「熱海レジデンス」(仮名)の眼下には相模湾が広がり、心地よい海風と眩しい太陽が施設全体を包み込んでいる。晴れた日には窓から初島もよく見え、最高のロケーションだ。

 それに加えて、熱海は比較的気候が温暖であるため四季折々の花が咲き、街全体に南国ムードが漂っている。

 熱海から東京の品川までは新幹線で30分強と利便性もよく、住環境としても申し分ないだろう。

 テーブルの向かいには、徳川さんご夫婦に酒井栄太さん(仮名)ご夫婦。石川康弘さん(仮名)と、井伊佳代さん(仮名)の6名。全員、この施設に住んで5年から7年になるという。

 ここに集まった全員は、施設の管理組合における理事会や交流会の役員経験者だ。

入居者カーストが見え隠れ

「女性軍は結構楽でしょ?」

 この施設のいい点を私に説明するため、徳川さんは両脇に座る“女性軍”にそう話を振った。三人の女性は、全員首を縦に振り、「はい」と短く答えた。

 女性にとって、ここでの生活は何が楽なのだろうか。その理由について徳川さんはこう続ける。

「食事は出るわ、お風呂は洗わなくて済むわ。毎日温泉入って、掃除も希望すれば有料ですがやってくれる、と」

 徳川さんは、異論はないねと言わんばかりに女性たちを一瞥した。食事の用意や風呂掃除は女性の仕事だという前提の会話に少々ひっかかりを感じたが、当の女性たちは皆同意している様子だった。

 今時の社会では、そうした発言をした途端に「考えが古い」と周囲からお叱りを受けてもおかしくない。だが、そんな徳川さんの発言を誰もが素直に受け止めている。

 高齢者だけが集まった閉鎖的な住空間に根付く独特の世界――。

 ここには、そんな特異な雰囲気が漂っているのであった。

(本記事は、『ルポ 超高級老人ホーム』の内容を抜粋・再編集したものです)

甚野博則(じんの・ひろのり)
1973年生まれ。大学卒業後、大手電機メーカーや出版社などを経て2006年から『週刊文春』記者に。2017年の「『甘利明大臣事務所に賄賂1200万円を渡した』実名告発」などの記事で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」のスクープ賞を2度受賞。現在はフリーランスのノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌などで社会ニュースやルポルタージュなどの記事を執筆。近著に『実録ルポ 介護の裏』(文藝春秋)がある。