「日本上陸当時のリッツ・カールトンが、徹底していたことがあります」
そう語るのはアメリカン・エキスプレスの元営業である福島靖さん。世界的ホテルチェーンのリッツ・カールトンを経て、31歳でアメックスの法人営業になるも、当初は成績最下位に。そこで、リッツ・カールトンで磨いた「目の前の人の記憶に残る技術」を応用した独自の手法を実践したことで、わずか1年で紹介数が激増。社内で表彰されるほどの成績を出しました。
その福島さんの初の著書が記憶に残る人になるガツガツせずに信頼を得るための考え方が満載で、「本質的な内容にとても共感した!」「営業にかぎらず、人と向き合うすべての仕事に役立つと思う!」と話題。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、リッツ・カールトン初代日本支社長から聞いた「お客様の信頼を得るために徹底していたこと」について紹介します。

世界的ホテルチェーンが日本に初上陸した際、お客様から信頼を得るために徹底した拍子抜けするほどシンプルなこととは?Photo: Adobe Stock

日本上陸当時は無名だったリッツ・カールトン

「めんどくさい」という意識を手放せたとき、すべてのお客様に対して丁寧で誠実な対応ができるようになります。

 ここに勝機を見出したのが、リッツ・カールトンでした。今では「ホスピタリティに溢れたホテル」として知らない人がいないほど有名になりましたが、大阪の梅田に日本第一号店ができた頃、日本での知名度は決して高くはありませんでした。「リッツ・カールトンです」と名乗っても、「はい?」と聞き返されることばかりだったそうです。

 そんな状態から、どうやって成功することができたのか。
 以前、当時の日本支社長である高野登さんに聞いたことがあります。

日本支社長が徹底した「地味すぎる戦略」

 高野さんは、一言、こう言いました。

「それはね、めんどくさいことを全部やったからだよ」

 開業前に大阪中のホテルを回ったところ、感動するポイントもあれば、「もっと、こうだといいのに」と物足りなさを感じるポイントも見つかったそうです。高野さんは「きっとめんどうだから、みんなやっていないのだろう」と考え、その物足りなかったことを全部やってみたそうです。それが成功の秘訣でした。

 それくらい、誰もが「めんどうだ」と思っていることを丁寧にやるというのは大事なのです。

誰でもできることを、丁寧にやる

 たとえばリッツ・カールトンは、「お客様を名前で呼ぶ」ことを徹底しています。お客様がお帰りになる際はお店の出口までではなく、その外のエレベーターまでお見送りすることも何度もありました。

 これは、何か資格がないとできないことでしょうか。ホテルでの長い経験やスキルがないとできないことでしょうか。
 そんなことはないですよね。新人スタッフであっても、やろうと思えば誰でもできることです。そんなことでも、お客様はとても喜んでくれます。

「誰でもできる、めんどくさいことを全部やる」

 これが、リッツ・カールトンのホスピタリティの根底にある精神なのです。

手間をかけるから、心が動く

 僕が営業として結果を出せたのも、この教えにならい、とても面倒なことを大事にしたからでした。

「お客様のお誕生日に、生まれ年の切手を貼った手紙を出してみる」
「喫茶店での商談用に、マイコースターを用意してみる」

 周りから無駄だと言われても、小さな手間を地道に繰り返していきました。でも、それがいちばん簡単で確実な方法です。経験や能力は必要ありません。ただ自分の持つ最大の価値、「時間」をかけてあげるだけです。

 お客様に喜んでもらえると思ったことは、たとえ面倒でも実行する。その手間が伝わったとき、相手の心が動くのです。

(本稿は、『記憶に残る人になるートップ営業がやっている本物の信頼を得る12のルール』から一部抜粋した内容です。)

福島 靖(ふくしま・やすし)
「福島靖事務所」代表
経営・営業コンサルティング、事業開発、講演、セミナー等を請け負う。高校時代は友人が一人もおらず、18歳で逃げ出すように上京。居酒屋店員やバーテンダーなどフリーター生活を経て、24歳でザ・リッツ・カールトン東京に入社。31歳でアメリカン・エキスプレス・インターナショナル・インコーポレイテッドに入社し、法人営業を担当。当初は営業成績最下位だったが、お客様の「記憶に残る」ことを目指したことで1年で紹介数が激増し、社内表彰されるほどの成績となった。その後、全営業の上位5%にあたるシニア・セールス・プロフェッショナルになる。38歳で株式会社OpenSkyに入社。40歳で独立し、個人事務所を設立。『記憶に残る人になる』が初の著書となる。