「リッツ・カールトンが支持されるのは、唯一無二の価値を持っているからです」
そう語るのはアメリカン・エキスプレスの元営業である福島靖さん。世界的ホテルチェーンのリッツ・カールトンを経て、31歳でアメックスの法人営業になるも、当初は成績最下位に。そこで、リッツ・カールトンで磨いた「目の前の人の記憶に残る技術」を応用した独自の手法を実践したことで、わずか1年で紹介数が激増。社内で表彰されるほどの成績を出しました。
その福島さんの初の著書が『記憶に残る人になる』。ガツガツせずに信頼を得るための考え方が満載で、「本質的な内容にとても共感した!」「営業にかぎらず、人と向き合うすべての仕事に役立つと思う!」と話題。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、24歳で入社して驚いた、リッツ・カールトンが大事にする「価値」について紹介します。
「コミュ障・高卒・フリーター」が変われた理由
僕は高卒です。
中学3年生で仲間はずれにされたのがきっかけで人間不信になり、それから友達が一人もできず、次第に学校にも行かなくなりました。やがて両親とも衝突するように。そんな環境から逃げだしたくて、「俳優を目指す」ことを口実に18歳のときに上京しました。その後、通信制の高校をかろうじて卒業しましたが、勉強と呼べる経験はこれが最後になりました。
そして24歳まで、フリーターでした。俳優養成の事務所に入るも、すぐにレッスンは疎かになり、飲食店でのアルバイトやバーテンダーなど職を転々としていました。
そんな僕が変わるきっかけになったのが、24歳で入社した、世界的ホテルチェーンの「ザ・リッツ・カールトン東京」です。
リッツ・カールトンには「ルール」がない
リッツ・カールトンで学んだことは数多いですが、なかでも最も大きな学びが「自分らしく振る舞う」ことの大切さです。
リッツ・カールトンは圧倒的なホスピタリティで有名なホテルですが、じつは明確なルールがほとんどありません。
大切にしているのは、リッツ・カールトンらしさ。つまり、在り方です。売上や経営方針ではなく、自分たちが「どう在りたいか」を大切にしています。
それは「クレド(ラテン語で“信条”)」という言葉で表され、そのクレドをまとめた一枚のカードを、全世界の従業員は必ず携帯していました。そして各部署で朝晩行われるミーティングに部署の全員が出席し、クレドについて意見を伝え合います。「このクレドを私はこう考える」と、自分の言葉にすることで内容が「自分ごと化」し、日々の行動でおのずと実践できるのです。
「福島さん、このクレドをどう思いますか?」
僕も何度も問われました。
「how to do」がお客様を惹きつける
入社1年目、今でも覚えている悔しい経験があります。
あるお客様に「Mさんいる?」と、先輩社員について尋ねられ、僕が「今日はお休みなんです」と答えると、「じゃあ、また来るよ」と帰ってしまったのです。
「待って、僕じゃダメなんですか……?」
と、心の中で嘆きました。
従業員は全員、業務内容を熟知しています。でもそのお客様が求めていたのは画一的なサービスではなく、MさんなりのおもてなしやMさん自身の存在だったのです。
Mさん以外にも、いち個人としてお客様に認識され、信頼されているスタッフがリッツ・カールトンには何人もいました。彼らは大袈裟なおもてなしをしていたわけではありません。クレドに基づいてお客様のために自分ができることを考え、行動していました。
クレド(在り方)を表現するために「自分なりに考えて行われる接客」こそ、リッツ・カールトンの持つ唯一無二の価値でした。
「how to be(在り方)」から生まれた「how to do(自分なりの行動)」こそが、人を惹きつけるのです。
(本稿は、書籍『記憶に残る人になる』から一部抜粋した内容です。)
「福島靖事務所」代表
経営・営業コンサルティング、事業開発、講演、セミナー等を請け負う。地元の愛媛から18歳で上京。居酒屋店員やバーテンダーなどを経て、24歳でザ・リッツ・カールトン東京に入社。31歳でアメリカン・エキスプレス・インターナショナル・インコーポレイテッドに入社し、法人営業を担当。お客様の記憶に残ることを目指し、1年で紹介数が激増。社内表彰されるほどの成績となった。その後、全営業の上位5%にあたるシニア・セールス・プロフェッショナルになる。株式会社OpenSkyを経て、40歳で独立。『記憶に残る人になる』が初の著書となる。