生成AIのせいで「子どもが学ばなくなる」と
恐れる大人に欠けている視点

生成AIのせいで「子どもが自力で宿題をしなくなる」と恐れる大人に欠けている視点10年後のハローワーク』(川村秀憲 著、アスコム、税込1650円)

 同時に、昨今よく議論される「生成AIのせいで子どもが学ばなくなる」、あるいは「課題やテストの際に生成AIを使って不正をするようになる」という点は、私に言わせれば語る側の教育者としての限界を示しているとしか思えません。

 生成AIに簡単に解けるような教育内容しか教えられないことを恐れているからです。むしろこれからの教育者は、決して生成AIには答えられない未解決、未知の問題に対してどう子どもたちが取り組むかを教えられなければ、「生身の先生」として存在する意義が薄くなるでしょう。

 ただし、義務教育はあくまで「制度」のため、大幅にカリキュラムや仕組みを変えるまでには長い時間がかかることもまた事実だと思います。あるいは、人と人が毎日顔を合わせるというメリットを優先するなら、わざわざ変えなくてもいいのかもしれません。そういった意味では、義務教育におけるAIは、しばらくの間は教員不足を補う程度の緩やかな代替にとどまるのかもしれません。それでも並行して、一人の先生が大勢の生徒を教えていくスタイルのメリットは、どんどん薄れていくでしょう。

 半面、塾や予備校といった私的な教育の場合は、すでに長い間、遠隔教育や情報技術を駆使して産業が発達してきた流れがあり、当然にAIの導入もこの流れのなかで進んでいくと考えられます。

生成AIのせいで「子どもが自力で宿題をしなくなる」と恐れる大人に欠けている視点出典:『10年後のハローワーク』(川村秀憲 著/アスコム)

 すでに大手の東進は英作文の添削を生成AIで行うサービスを、同じくベネッセでは自由研究をAIで支援するサービスを始めていると言います。このように、AIによって、より安価に、よりカスタマイズされた、そしてより本人に合っている方法やレベルで教育が提供されるようになるでしょうし、AIを取り入れない業者が生き残ることは難しいのではないでしょうか。

 さて一方で、たとえAIにできるとしても任せないほうがいいのは、乳幼児~小学校低学年くらいまでの教育です。

 言うまでもないことですが、人間として発達する過程で、コミュニケーションや他人を大切にする考え方などを養う必要はあります。言葉の学習も、最初は直接人から学ぶわけです。

 身近な人を見て、人間としてのあり方、人との接し方を学ばせる役割は人が絶対に担わなければなりませんし、そもそも幼い子どもには自らAIを使うことができません。

 さらに加えると、ある程度成長したあとでも、実感を伴う必要のある教育をAIが代替することは困難でしょう。たとえばAIによってサッカーのルールや理論、名勝負は学べたとしても、実際にサッカーをどうやるのかを学ぶには、フィールドに出て体を動かすしかありません。芸術や美術なども同様です。

 私はむしろこうしたところに、将来の教育産業が生き残っていくチャンスがあると思います。AIが普及した社会で人々が学びたがる、あるいは学ぶべきことは、総じてAIにはできないことです。強烈な個性、身体性、個人性などを育てるための、際だった教育能力を持つ師匠が、むしろ江戸時代の寺子屋(てらこや)のごとく重視されるイメージを持っています。あるいは、数あまたのオンラインサロンのなかから自分にぴったりの先生を選ぶようなイメージです。決して教員免許を持っていれば誰でもできることではありません。

 AI以前は、100人中99人が知っているべきことを確実に教えることが教育の役割でした。それが今後は、100人中1人しか知らないような、際だった内容を教えられる「寺子屋型教育」が期待されていると言えるでしょう。