100歳の人の得点が、中年期の人や若い高齢者たちのそれとあまり変わらなかったのです(図1)。若い人は健康な人が多く、体も自分の思った通りに動かせるし、老いを意識する機会も少ないと思います。一方、100歳の人には機能の低下によってすでに行動に多くの制限があり、視力が落ちて耳も遠い人が多く、しかも家族や親しい友人の死も多く経験している。にもかかわらず、幸福感がそれほど下がっていないと考えられたのです。
この結果から、年齢が高くなるにつれて、体の状態と心の状態の関係は弱くなるのではないか、言い方は悪いですが「ぼろは着ててもこころの錦」状態がはっきりしてくるのではないかということがわかってきました。
同じデータから自立が難しい人のみに注目すると、もっとはっきりした結果になります(図2)。65歳から90歳までは、自立が困難な人の幸福感は低いですが、同じような状態の100歳を見ると、むしろ幸福感が高いことが見えてきました。後年、85歳以上の方たちに行った調査でも同じように病気の有無や、身体機能のレベルと幸福感の関係が弱くなることがわかっています。
社会から離脱する生き方
さて、こういった心の変化を「老年的超越」という言葉で表現した研究者がいます。
スウェーデンの社会老年学者ラルス・トルンスタム(ラーシュ・トーンスタム)教授で、大規模な調査を踏まえて1989年にこの概念を提唱しました。「加齢に伴う、社会で求められてきた物質主義的で合理的な世界観から宇宙的、超越的、非合理的な世界観への転換」という意味とされます。
これは、年を取るに従い、世界を理解する枠組みの考え方が変わったり、世界のとらえ方が変わってくるということを示しています。おそらく多くの人にとっても同様で、昔考えていたのと今考えている世界は異なるでしょう。私自身、若い時はまわりが敵だらけのように感じていましたが、今はいい人ばかりというような感覚があります。
トルンスタム教授がこの理論を提案した頃は、若さや健康、自立に価値を置き、アクティブでいることがよいという米国流のサクセスフルエイジングの考え方が主流でした。
トルンスタムはそのように自立して活動的に年を取っていくことが理想であるという価値観がすべてではないだろうと考え、自らの理論を構築しました。これは、アクティブな面に着目する「活動理論」に対して米国流では「離脱理論」と呼ばれます。
彼が禅仏教に注目した背景には、隠遁や隠居という、加齢とともに世俗から離れ、自然や宗教(神仏)と向き合う、社会から離脱する生き方があったからだと考えられます。
トルンスタムはスウェーデンで65歳以上の約1600人に調査を行い、約20%の人が「老年的超越」を達成していると報告しています。その達成には、年齢が高いこと、活動的であること、専門的職業に就いていたこと、比較的都市部に住んでいること、大きな病気を多く体験していることが関係していたそうです。