元首相を取り巻く「女」たち

 先のブレーンはこうも明かした。

晩年の蔦子さんは、秘書の太田英子さんをはじめ、中曽根先生の女性関係に焼きもちを焼いて大変でした。上品な方ですから決して露骨な物言いはしません。けれど、ことあるごとに『主人はすっかり太田さんにお世話になっているのよ』と皮肉っぽい愚痴をよく聞かされました。

 中曽根先生はほかにも赤坂の料亭『金龍』の仲居さんなんかを可愛がっていて、蔦子さんは亡くなるまで彼女たちに嫉妬していました

 中曽根より3歳若い蔦子は2012(平成24)年11月7日に死去し、青山葬儀所で告別式がおこなわれた。

 一方、夫君の中曽根は90代半ばにしてまだまだ壮健だったようだ。ブレーン氏が続ける。

中曽根先生は95歳までゴルフをしていました。場所はもっぱら茅ヶ崎にある東急電鉄グループの『スリーハンドレッドクラブ』。たいていハーフだけで終わりでした。ゴルフバッグにはアイアンが入ってなく、ぜんぶウッドでした。ボールがグリーンに乗るとOK。健康のためのゴルフですが、中曽根さん専用のカートはフェアウェイまで乗り入れられるのでそれほど歩きませんでしたね」

 親しい財界人を囲む5月27日の誕生日会は99歳まで続いた。

96歳の誕生日会まで、場所は築地の吉兆でした。そのあとは吉兆の料理人が東麻布に寿司屋を開いたので、そこに場所を変えました。99歳が最後の誕生日会でした。そこから具合が悪くなって入退院を繰り返すようになりました」(参加者の一人)

ボロ財布にクチャクチャのお札

 孫の衆議院議員、中曽根康隆に尋ねた。

「私が2017年の総選挙で初当選したとき、『歴史を学ばなければ国の舵取りはできない』と諭された言葉が印象に残っています」

 祖父の最期についてこう振り返った。

「祖父は慶友病院で亡くなりました。すでに101歳でしたから、どこが悪いというわけではなく、老衰です。ふた月ほど入院したでしょうか。亡くなる1週間前に見舞いに行くと、新聞を読みながら黒マジックで気になる記事に線を引いていました。日本の行く末を憂いながら亡くなったのでしょう」

 数々の汚職事件でその名が浮上した中曽根は、「政治とカネ」にどうかかわっていたのか。

「私はまだ幼かったので政治資金にかかわることについてはわかりませんが、孫個人として祖父を見た場合、金銭はおろかまったく物欲のない人でした。身に着けているものも安物ばかりで、いつもボロボロの財布にクチャクチャのお札が入っていた。病室は個室でしたけれど、ベッドと机、ユニットバスがある程度で、それほど広くもありません。映画に出てくるような豪華な特別室などでもなく、祖父はそれを望んでもいなかったと思います」

 中曽根は同じ歳で当選同期の田中角栄とライバル視され続けてきた。こと金銭への執着という点では、角栄と好対照だったようだ。

「真実は墓場まで持っていく」と言い残して目を閉じた。(敬称略)

森 功(もり・いさお) 
1961年、福岡県生まれ。ノンフィクション作家。岡山大学文学部卒業後、伊勢新聞社、「週刊新潮」編集部などを経て、2003年に独立。2008年、2009年に2年連続で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を受賞。2018年には『悪だくみ 「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞受賞。『地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』(講談社)、『官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪』(文藝春秋)、『国商 最後のフィクサー葛西敬之』(講談社)など著書多数。
※【訂正】記事初出時より以下のように補足・修正しました。
(訂正前)「大正、昭和、平成、令和の4つの元号を生きた唯一の内閣総理大臣である。」
(訂正後)「大正、昭和、平成、令和の4つの元号を生きた内閣総理大臣である。」
 読者の皆様にお詫びいたします。(2024年9月3日17:00 書籍オンライン編集部)