論理的でなくても全然問題なし
勘で決めることに慣れよう

 言い換えれば、論理的理由がなくても決めていい、ということに慣れておくのです。

 結局、不安の第2段階になると「分析」は効果が少なくなってしまうのです。それでも人生を選択しなければならない場合、好き嫌いで決めたほうが消耗を避けることができるし、前へ進むこともできます

 結果を見ても、おそらくそれほど悪い結末にはならないものです。

 少なくとも現代社会では命を取られることはないでしょう。

 好き嫌いがあまりにも漠然とした尺度なら、「自分ならこれを重視するという軸」みたいなものを育てておく手もあります。

 よくあるのが「迷ったら、大変なほうを選択する」という方法。大変といっても、それは行動するときの大変さです。実際は何もしない大変さのほうが大きいので、悩みによる消耗を総合的に大きくしない方法論だと考えることもできます。

 もちろん逆に「迷ったら、楽なほうを選択する」とか「早くできるほうを選ぶ」「コスパのよいものを選ぶ」などでもOKなのです。

 神頼みにも通じますが、風水で決めるという手もあります。「自分の親だったらどうするか」「目標としているあの先輩ならどうするか」などで選んでも結構です。要は、論理的じゃなくていいのです。

 論理的でない決断をする自分がいる、そして、その決断でもそれほど悪いことが起こらない。この体験をすると、自分はそれほどダメではないし、世の中は搾取的でもないし、未来もそれほど危険でもない、という認識を育てることができるのです。

 元気なときから、この勘で決める方法を練習したいものですが、ひとつの考えとして、

・転職など「重大な結果に至る可能性の場合は理性でしっかり詰める」

・今日のランチの店など「それほどの影響のないことは勘で決める練習をする」

 と分けておくと、勘で決めることに日頃から慣れることができるので、おすすめです。