「どん底にいた高校時代の僕を救ってくれた言葉があります」
そう語るのはアメリカン・エキスプレスの元営業である福島靖さん。世界的ホテルチェーンのリッツ・カールトンを経て、31歳でアメックスの法人営業になるも、当初は成績最下位に。そこで、リッツ・カールトンで磨いた「目の前の人の記憶に残る技術」を応用した独自の手法を実践したことで、わずか1年で紹介数が激増。社内で表彰されるほどの成績を出しました。
その福島さんの初の著書が記憶に残る人になるガツガツせずに信頼を得るための考え方が満載で、「本質的な内容にとても共感した!」「営業にかぎらず、人と向き合うすべての仕事に役立つと思う!」と話題。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、今でも著者を支えている「ある言葉」について紹介します。

「高校3年間で友達0人」「家では親に反抗して家庭崩壊」学校にも家にも居場所がなかった高校生を救った、バイト先の料理長の言葉とは?Photo: Adobe Stock

友達ゼロ、家庭崩壊していた高校時代

 誰でも、ときには気持ちが落ち込むこともありますよね。そんなとき、自分の「感動体験」が力を与えてくれます。

 僕は周囲から、よく「落ち込んだりしないでしょ?」「いつも明るくていいね!」と言われます。どうやら根っからのポジティブ人間だと思われているようです。

 でも、かつてはとてもネガティブな人間でした。中学3年生で人間関係につまずき、高校の3年間は友達0人。早退してばかりで、家では親に反抗して家庭崩壊させてしまいました。

 だから今でも、ふと「努力なんて無駄なんじゃないか」「自分のことなんて誰も見ていないのではないか」と、気持ちが落ち込むことがあります。気遣いに気づいてもらえなかったときや、紹介につながらなかったときなど、かつての「暗い自分」が一瞬、顔を覗かせます。

 そんなときに、思い出している経験があります。
 それは、まさに人生のどん底だった高校生時代のことです。

どん底の僕を救ってくれた「料理長の言葉」

 当時の孤独な日々での唯一の楽しみが、飲食店でのアルバイトでした。学校や家での僕を知らない人しかいない空間でしたから、そこでは気楽に話せました。何より料理長が、新入りの僕にも真剣に指導してくれる、とても熱い人でした。

 その料理長に、ふと、学校や家で居場所がない話をしたときのことです。僕の目をじっと見て、こう言ってくれたんです。

「福島、努力してれば必ず誰かが見ていてくれる。だから、腐るなよ」

 帰り道、僕は感動して涙がこみ上げました。見ていてくれる人がいる。そう思っただけで、僕は孤独ではなくなりました。

 20年以上経った今でも、あのときの言葉は心にしっかりと記憶されています。そして孤独を感じたとき、誰にも理解されなかったとき、心の奥からそっと取り出すと「もう少し頑張ってみよう」と、ふたたび前を向けるんです。

心のエネルギーを涸らさずに働くために

 みなさんにも、「感動した経験」があるのではないでしょうか。
 仕事にかぎらず、日常のことでもかまいません。その感動体験を忘れないように記録しておくといいと思います。

 感動はとても刹那的なものです。そのときは涙が溢れるくらい心が動いたことも、翌朝になると忘れていたりします。だから、心が落ち込んだときにもう一度「感動」を思い出して前を向けるように、記録に残してほしいのです。

 仕事は一生懸命に取り組むほど、ラクではなくなります。
 つらく感じるのは、真剣に取り組んでいる証です。
 だからこそ日々、心のエネルギーを消費していきます。

 いくら明るく見える人だって、毎日エネルギー満タンなわけではありません。心が求めていないことばかりが続くと、やはり気が滅入ってしまいます。モチベーションも上がらなくなります。
 車だって、最初は燃料満タンで走り始めても、段々と燃料は減っていきますよね。そんなときは必ずガソリンスタンドを探して給油します。

 人も同じです。最初は情熱を持っていて心が満たされていても、走り続けるうちにエネルギーが減っていき、やがてはガス欠になり動けなくなってしまいます。そうなる前に、「感動」という名のエネルギーの給油が必要です。

 だけど、日々の仕事で頻繁に得るのは難しいですよね。そんなとき、記録していた過去の感動体験を思い出せると「そうだ、自分はこのために働いているんだ」と、自分が進む方角を思い出し、また前に進めるのです。

(本稿は、書籍『記憶に残る人になる』から一部抜粋した内容です。)

福島 靖(ふくしま・やすし)
「福島靖事務所」代表
経営・営業コンサルティング、事業開発、講演、セミナー等を請け負う。地元の愛媛から18歳で上京。居酒屋店員やバーテンダーなどを経て、24歳でザ・リッツ・カールトン東京に入社。31歳でアメリカン・エキスプレス・インターナショナル・インコーポレイテッドに入社し、法人営業を担当。お客様の記憶に残ることを目指し、1年で紹介数が激増。社内表彰されるほどの成績となった。その後、全営業の上位5%にあたるシニア・セールス・プロフェッショナルになる。株式会社OpenSkyを経て、40歳で独立。『記憶に残る人になる』が初の著書となる。