型破りの実験の結果

 何がきっかけになるのか。初期の研究では、バッタの個体数が増えると群れを成す傾向が強くなることが示された。

 だがそれはなぜなのだろうか。その問いへの答えは、意外な道具を使った研究によって提示された。

 二〇〇一年、現在はシドニー大学で私の同僚になっているスティーヴ・シンプソンは、孤独相から群生相への変化が、バッタどうしの物理的な接触によって起きるか否かを調べた。

「事実は小説よりも奇なり」ということは実際に時々ある。

 スティーヴの研究にもこの言葉はよく当てはまるだろう。これは、異例の手段によって科学の研究が大きく前進した例の一つだ。

 スティーヴが利用したのは、画家の使う絵筆である。スティーヴは同僚たちとともに、孤独相のバッタの特定の部位を一分間につき五秒間なでる、という動作を繰り返した。

 勤勉にも、この同じ動作を正確に同じペースで長い間、繰り返したのである。

 この型破りの実験の結果は驚くべきものだった―なんと、孤独相のバッタの後肢を四時間にわたり、定期的に絵筆でなで続けると、群生相のバッタへと姿を変えたのだ。

過酷な環境の最適戦略

 スティーヴの巧みな実験は、食料が極端に乏しくなった時にバッタの身に起きることを模したものだ。サバクトビバッタは普段から、過酷な不毛の環境に暮らしてはいる。

 食料の供給は当然、少ない。

 そういう環境でバッタが生き延びるには、できる限り、他の個体とは間隔を空けて暮らすのが最適の戦略となる。

 その場合は地味な外見で周囲に紛れて生きるのがいいだろう。そこへ雨が降ると、バッタたちは一気に楽に生きられるようになる。

 雨によって条件が良くなると、すぐにそれに反応して植物が繁茂するからだ。

 雨が降っている間、食料に困ることがないバッタは、繁殖を始める。困るのは、その後、乾燥した気候が戻ってからだ。

 新たに生まれた若いバッタが数多くいるので、豊富にあった食料も急速に減っていく。バッタたちは次第に、ところどころ島のようにわずかに残った植物に群がるようになる。

バッタを変貌させる意外なスイッチ

 本来、孤独を好むはずのバッタたちだが、飢えには勝てず、やむを得ず狭い場所に密集し始めるのだ。

 貪欲なバッタたちが数多く集まって絶え間なく食べ続ければ、残った島も次第に小さくなっていく。

 バッタたちはさらに狭い場所に密集して生きねばならなくなる。身体と身体を触れ合わせ、ぶつけ合って生きるのだ。

 スティーヴが実験で再現したのはまさにこの状況だった。

 絵筆でなでる部位を後肢にしたのは、論理的な思考の結果だ。後肢は大きく、突き出しているし、しかも感覚毛で覆われている。

 事実、サバクトビバッタの孤独相から群生相への相転移を引き起こしている部位は、後肢だけだったのだ。

 重要なのは、他の部位とは違い、後肢の外側には、周囲に他のバッタが数多く存在する状況でなければ何かが偶然にぶつかる可能性は非常に低いということである。

 孤独相から群生相への相転移の第一段階では、行動が変化する。その他の変化は、あとで徐々に起きる。

 スティーヴの実験でわかったのは、この時、バッタの身体の中では、セロトニンが多く分泌されているということだ。

異常な食欲で農作物を…

 この物質によって、バッタが隠者からパーティー好きへと一八〇度の変貌を遂げるのである。セロトニンは私たち人間の身体の中でも分泌される。

 人間の場合、セロトニンは、攻撃性を抑え、建設的な社会的行動を促す神経伝達物質となっている。

 バッタの場合は、セロトニンが多く分泌されると、身体の中でいくつもの変化が連鎖的に起きることになる。

 単独行動から集団行動への変化が最も顕著だが、そのあとにも、翅が長くなる、異常な食欲で農作物を食い荒らすようになる、などの大きな変化が起きる。

(本原稿は、アシュリー・ウォード著『動物のひみつ』〈夏目大訳〉を編集、抜粋したものです)