生き物たちは、驚くほど人間に似ている。ネズミは水に濡れた仲間を助けるために出かけるし、アリは女王のためには自爆をいとわないし、ゾウは亡くなった家族の死を悼む。あまりよくない面でいえば、バッタは危機的な飢餓状況になると仲間に襲いかかる…といったように、どこか私たちの姿をみているようだ。
ウォール・ストリート・ジャーナル、ガーディアン、サンデータイムズ、各紙で絶賛されているのが『動物のひみつ』(アシュリー・ウォード著、夏目大訳)だ。シドニー大学の「動物行動学」の教授でアフリカから南極まで世界中を旅する著者が、動物たちのさまざまな生態とその背景にある「社会性」に迫りながら、彼らの知られざる行動、自然の偉大な驚異の数々を紹介する。「オキアミからチンパンジーまで動物たちの多彩で不思議な社会から人間社会の本質を照射する。はっとする発見が随所にある」山極壽一氏(霊長類学者・人類学者)、「アリ、ミツバチ、ゴキブリ(!)から鳥、哺乳類まで、生き物の社会性が活き活きと語られてめちゃくちゃ面白い。……が、人間社会も同じだと気づいてちょっと怖くなる」橘玲氏(作家)と絶賛されている。本稿では、その内容の一部を特別に掲載する。
なぜバッタは大群になるのか
バッタの大発生を抑え、大群のもたらす災厄を防ぎたいと思うのであれば、私たちはまずバッタについてよく理解しなくてはならない。科学はまさにそういう時に役立てるべきものだ。
まず単純に疑問なのは、なぜバッタは大群となるのか、ということだ。
近年、研究が大幅に進んだことで、この問いへの答えはわかり始めている。サバクトビバッタには、二つの形態、「相」がある。孤独相と群生相だ。
孤独相のバッタは、他のバッタとの接触を避け、隠遁者のように暮らす。この相のバッタは比較的、温和である。
ジキルとハイド
そして、大群を成すのは、群生相になった時だ。まさに「ジキルとハイド」である。
物静かで控えめで孤独好きな動物が突如、歩兵のようになって大群を成し、何もかもを食べ尽くして土地土地に悪夢をもたらす動物へと変わるのだ。
二つの相のバッタは同じ種の動物なのだが、行動も見た目も互いに大きく異なっている。
あまりに違うため、百年ほど前までは、同じ種の動物だとはわかっていなかった。孤独相のバッタは、斑模様で、地味なカーキがかった緑色をしている。
迷彩服のように周囲に溶け込みやすい外見をしているわけだ。動きは緩慢で、他のバッタたちとは一定の距離を取る。
ところが群生相になると、鮮やかな黒、黄色、オレンジ色から成る派手な外見へと変わる。そして行動も非常に活発になる。
無害なバッタが略奪者に変貌する
また、より重要なのは、お互いを避けることがなくなるということだ。そうでなければ群れを成すことはできない。お互いを避けるどころかむしろその逆だ―お互いに接近するようになるのである。
この性質の変化により群れを成すことが可能になる。
ひっそりと目立たずに単独で生きていたバッタたちが、群れを成す動物へと変わると、自分の身を危険に晒すことになる。そのためバッタは、自分の身を守るための変化を遂げる。
まず、孤独相では避けていた、苦味のある植物を積極的に食べるようになる。苦味があるのは、pH値が高い(アルカリ性が強い)証拠である。
この苦味が通常は、有刺鉄線のような役割を果たすのだ。
植物は、食べられないために、毒性のあるアルカリ性の物質を産生する。ところが、群生相のバッタは、あえて美味しいごちそうを探さない。
むしろ積極的に毒のあるまずい植物を食べ、その毒物を溜め込み、自分の身を守るために利用するのだ。
群生相のバッタは、毒のある食べてもまずいバッタとなる。
鮮やかな色は、そのことを知らせる捕食者への警告の信号だ。捕食者はその色を見て、群生相のバッタを避ける。
ではなぜ、比較的無害な孤独相のバッタが、大集団を成す危険な略奪者へと変貌するのか。