「人生を一変させる劇薬」とも言われるアドラー心理学を分かりやすく解説し、ついに国内300万部を突破した『嫌われる勇気』。「目的論」「課題の分離」「トラウマの否定」「承認欲求の否定」などの教えは、多くの読者に衝撃を与え、対人関係や人生観に大きな影響を及ぼしています。
本連載では、『嫌われる勇気』の著者である岸見一郎氏と古賀史健氏が、読者の皆様から寄せられたさまざまな「人生の悩み」にアドラー心理学流に回答していきます。
今回は、「人生の終わりに向けていかに生きるか」という深遠なご相談。「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と喝破するアドラー心理学を踏まえ、岸見氏と古賀氏が熱く優しく回答します。
人生の終わりに向けて
いかに生きるか?
【質問】「人生とは連続する刹那である」と『嫌われる勇気』には書いてあります。未来や過去を考えるより「いま、ここ」を生きましょうということだと思います。では、人生の終わりを迎えるときにどうありたいかという目標を持つことは、アドラー心理学的にはどう考えればよいのでしょうか? ご意見を聞かせてください。(30代・男性)
古賀史健:『嫌われる勇気』の完結編である『幸せになる勇気』は、大きく言うと「愛」をテーマにした本です。そのなかで書いたことをお話しします。愛する人ができたとしても、必ずやいつか別れが訪れます。離婚もあれば死別もある。じゃあ、いずれ別れると分かっているのに、なぜ愛する必要があるのか? ニヒリスティックに考えればそんな疑問も出てくるでしょう。『幸せになる勇気』では、愛するという行為、あるいは人生を歩むということは、最良の別れに向けた歩みなのだとしています。
別れることは分かっているけれど、その辛い場面を最良の場面として迎えられるか? こういう別れだったら何の後悔もないと思えるだけの人生を歩むことができるか? そのためにいま何ができるのか? そういう話を『幸せになる勇気』には書きました。
自分自身の死に際しても、近しい人の死に際しても、それを迎えるために大切なのは、最良の別れに向けて不断の努力を続けることだと思っています。
岸見一郎:遠距離恋愛をしている人から相談を受けたことがあります。久しぶりに恋人に会えて2人で楽しい時間を過ごす。ところが別れの時間が近づくにつれ、どちらかがあるいは双方が不機嫌になる。そして「次はいったいいつ会えるんだろう」となる。そんなときはどうしたらいいでしょう、という相談でした。
私は、次に会うことすら忘れて集中して2人の時間を過ごせるとよいですねと答えました。燃え尽きるような完全な時間を2人で過ごし、それぞれが帰路についてから「あ、そう言えば次に会う約束をしていなかった」と気づく。そんな過ごし方ができるカップルになってほしい、と。次に会うことばかりを考えている2人は、共に過ごす時間が不完全燃焼なのかもしれません。もしかすると次はないかもしれない。
ひどいことを言っているようですが、人生とはたぶんそういうものなのです。先のことばかり考えて、いまやるべきこと、できることを先送りするべきではありません。未来というのは「未だ来たらず」と書きます。そもそも未来はないのです。ない未来に希望を持つのはおかしいと私は考えています。人生の目標は持ってもいいけれど、その目標は未来にあるのではなく「いま、ここ」にあると考えてほしい。
『嫌われる勇気』の最後に、「導きの星」という言葉が出てきます。旅人にとっての北極星のように、それさえ見失わなければ道に迷わない「人生の指針」を意味します。「自らの上空に導きの星を掲げて」と『嫌われる勇気』の青年は言いました。つまり「いま、ここ」にこそ導きの星はある、と。
そして哲人は、導きの星とは「他者貢献」だと明言します。未来ではなく「いま、ここ」で他者貢献を目指す、それを常に忘れずに生きていくことが大切だと思います。