「人生を一変させる劇薬」とも言われるアドラー心理学を分かりやすく解説し、ついに国内300万部を突破した『嫌われる勇気』。「目的論」「課題の分離」「トラウマの否定」「承認欲求の否定」などの教えは、多くの読者に衝撃を与え、対人関係や人生観に大きな影響を及ぼしています。
本連載では、『嫌われる勇気』の著者である岸見一郎氏と古賀史健氏が、読者の皆様から寄せられたさまざまな「人生の悩み」にアドラー心理学流に回答していきます。
今回は、部下育成に悩む方からのご相談。「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と喝破するアドラー心理学を踏まえ、岸見氏と古賀氏が熱く優しく回答します。
部下の成長は誰の課題か?
【質問】部下の教育について悩んでいます。部下の仕事への取り組み方が自分とは大きく異なる場合、どのように対処すべきでしょうか。部下が変わるのを待っていては、お客様に迷惑が掛かる可能性もあります。部下が変わることは部下自身の課題ですが、お客様に被害が出れば責任を取るのは会社や上司である自分です。となると、これは誰の課題と考えたらよいのでしょう?(30代・男性)
古賀史健:日本の企業では、現場の上司が部下を教育するという文化が根づいています。ですが、欧米の企業にはそういう文化はあまりなくて、多くの場合、上司の業務に部下教育は含まれていません。どちらが良いか僕には判断できませんが、少なくとも部下の教育が上司の仕事に含まれている日本では、「俺はこんなに頑張って営業成績もすごいのに、ついてこない部下がいる」などとは言えないはずです。それは部下の責任ではなく、上司が仕事の一部をサボっているのだと僕は考えます。
部下を教育することが仕事の一つなのであれば、それを自らの課題と捉えて部下と接してはいかがでしょう。部下の仕事の取り組み方が自分と違うなら、無理やり自分と同じ方法に変えさせるのではなく、なぜ部下はこう考えてこういったやり方をしているのかを理解して歩み寄る。そうしたアプローチがよいのではないかと思います。
岸見一郎:たとえば子どもが勉強しないとします。アドラーの「課題の分離」によれば、勉強するかしないかは子どもの課題ですから、親がやきもきする必要はまったくありません。成績がどんどん下がり、行きたい学校に行けなくなったとしても、その責任は子ども自身が取るしかないのです。
とはいえ、親と同じことが学校の先生にも言えるかというと微妙です。先生は職業として生徒を教えています。教え子の成績がまったく伸びないなら、先生の教え方に問題があるのかもしれません。もし「お子さんは私の授業についてこれないようなので、塾に行かせてください」と親に言う先生がいたらおかしいでしょう。先生がちゃんと教えてくれれば塾に行かせる必要はないのにと親は考えるはずです。ですから成績が悪いというのは、単に生徒の課題ではなく、先生と生徒の「共同の課題」だと言えます。
しかしさらに言えば、私としては全面的に先生の課題だと思っています。先生の教え方が適切であれば、子どもの成績は必ず伸びると考えるからです。
そこでご質問のケースですが、部下が伸びないのは率直に言って上司の課題だと思います。育成や指導の仕方に問題があると捉えるべきでしょう。ですから、部下のほうに問題があるとは考えず、「私にもできることがあったはずだ」という発想をしてほしいのです。自分の教え方のどこが理解されていないのか、どんな問題があるのかを振り返り、必要があれば部下とも話し合ってみる。
そして上司の方には、若い人の感性・知性を信じてほしい。今はまだ十分力を発揮できていないかもしれないけれど、将来的には必ず成長すると思って部下と接してほしいのです。自分の部下が自分を超えてくれることを上司として目指していただければと思います。