星野監督は「ストーリー」を描き出す脚本家だった

 それは、こんな「ストーリー」です。

「2013年のシーズンは田中将大投手のシーズンだから、田中投手が勝って胴上げ投手にならなければいけないし、最後のウイニングボールは田中投手が投げなければいけない」

 ご記憶の方も多いと思いますが、楽天野球団が優勝した2013年の田中投手はまさに神がかっていました。

 リーグ戦では24試合に先発して、無敗の24連勝を記録。4月16日のソフトバンク戦に先発して7回3失点でリードのまま降板して、その後、逆転負けを喫した(田中投手に勝ち負けはつかなかった)ことがありますが、それが唯一、田中投手が登板して敗戦となったゲームでした。

 田中投手が投げたら、楽天野球団が勝つ─。プロ野球史上、かつてないほどの大活躍をしたのが田中投手であり、楽天初優勝の立役者であることは衆目の一致するところだったのです。

 それを、あの星野監督が見過ごすはずがありません。

 アマチュアスポーツは勝てばいいが、プロスポーツはそれでは足りない。

 プロスポーツは単に勝つだけではなく、多くの人々の注目を集めて、世の中に感動を与えて勝たなければ意味がない。そうすることで、ファンに喜んでいただいて、ファンをつくっていく。それが、プロ野球の監督の使命なんだと、星野監督は常日頃の言動で表現されていらっしゃいました。

 だから、星野監督が、無敗で勝ち続け、登板するだけで球場が熱気に包まれる、田中投手を主役に仕立てた「ストーリー」を考えないはずがありません。そして、その「ストーリー」が熱狂を生み出していくのを、僕はこの目で目撃する幸運に恵まれたのです。

星野監督の「賭け」

 2013年9月26日──。

 その日、楽天野球団の優勝へのマジック2で迎えた西武ライオンズ戦が行われました。この日、マジックの対象チームであるロッテが日本ハムに負けて、楽天が西武に勝てば、楽天優勝が決まるという試合でした。

 その試合開始前に、星野監督は僕に歩み寄って、「今日、9回は田中でいきます」と囁かれました。僕もそれを予想してはいましたが、「本当にそうくるか」と少々驚きもしました。なぜなら、田中投手は、開幕以来ここまで先発登板のみでリリーフは一度もなかったからです。

 だけど、「やっぱり、田中を胴上げ投手にするおつもりなんだな」とすぐに納得。星野監督が思い描いておられた「台本」どおりだと思ったのです。

 そして、7回表に主砲アンドリュー・ジョーンズの2塁打で逆転したあとの9回裏に、星野監督は田中投手を起用。そのアナウンスが流れた瞬間に、球場は大歓声が巻き起こりました。

 一部報道では、「その直前にロッテの敗北が決まったから、星野監督は田中起用を決断した」とされましたが、実はこれは誤報です。あのとき、まだロッテの敗北は決まっていなかった。少なくとも、その情報を星野監督はもっていなかった。だけど、星野監督は迷わず田中投手を起用。あれは、星野監督の「賭け」でもあったのです。

絶対絶命のピンチ

 その後、球場は異様な雰囲気に包まれました。

 田中投手がピッチング練習を始めた頃、ロッテ敗北のニュースが流れたからです。これでマジックは「1」に減少。このまま楽天が勝てば優勝が決定するわけで、まさに星野監督の「賭け」が球場にドラマを生み出したのです。

 しかし、初めてのリリーフで制球に苦しんだのか、内野安打と四球で出塁を許し、送りバントで1死2・3塁。しかも、このあと西武打線は3番、4番と続きます。まさに絶体絶命の大ピンチを迎えたのです。

 ここからがすごかった。田中投手、嶋基宏捕手のバッテリーは腹をくくったのか、それからは直球一本勝負。3番打者を三球三振に切ってとると、4番の浅村栄斗選手にも渾身のストレートを投げ続けました。そして、2ボール2ストライクから投げ込んだ8球目の直球を空振り三振。その瞬間、田中投手は天を仰ぐように拳を突き上げ、喜びを爆発させました。もちろん、球場全体が歓喜の渦。おそらく、星野監督が思い描いた以上の「劇的なストーリー」が現実のものになったのです。

「負け」すらも、「ストーリー」の一環である

 もちろん、それで「ストーリー」は終わりません。

 日本シリーズでも、星野監督は同じ采配をしましたが、思わぬドラマを生み出しました。僕はその展開に文字通り痺れました。

 楽天の3勝2敗で迎えた、巨人との日本シリーズの第6戦。この試合に勝てば「日本一」が決まるというゲームで、星野監督は「勝ち」に行きました。つまり、田中投手を先発に起用したのです。

 しかも、ホームグラウンドである仙台の球場でのゲーム。楽天の「日本一」を見るために、球場から溢れかえるほどのファンの皆さまが応援に駆けつけてくれました。しかも、投手は田中。当然、球場は最高潮に盛り上がりました。

 ところが、ゲームは思わぬ展開を見せました。田中投手はプロ野球では異例の160球の力投で9回を完投するも、被安打12でその年ワーストとなる4失点。無念の敗戦投手となってしまったのです。

批判覚悟の「あり得ない決断」

 これは、おそらく星野監督にとっても想定外だったのではないかと思います。

 ところが、結果的には、これが絶妙な「ストーリー」へと繋がっていきました。

 というのは、翌日の第7戦において、楽天3点リードで迎えた9回に、星野監督は田中投手を起用。この采配に、球場(仙台のホームグラウンド)は異様なまでの盛り上がりを見せたのです。

 これは、普通では考えられない采配です。

 前日に160球を投げ切った投手を、翌日にも登板させるのは、野球理論や医学理論ではありえない決断。万一、疲れの残る田中投手が打たれて負けたり、田中投手が肩や肘を痛めでもしたら、星野監督は激しい批判にさらされたに違いありません。

 実際、「160球も投げさせて、翌日にリリーフで使うなどありえない」「田中投手を潰すつもりか?」といった批判が一部で巻き起こりましたが、そんな批判がくるであろうことは、星野監督は百も承知だったでしょう。それでも、星野監督は田中投手の登板を決断したのです。

 そして、この決断をファンは大歓声で支持しました。球場に詰めかけたファンは、田中投手の登場曲「あとひとつ」にあわせて大合唱。それはすさまじいほどの応援で、球史に残るとまで言われているほどです。その場に僕もいましたが、球場全体が「絶対に楽天を優勝させよう」と思っていた。いや、「楽天の勝利」「楽天の日本一」を確信していたと思うのです。

東北楽天ゴールデンイーグルスが、「東北の球団」となった瞬間

 その期待に、田中投手は応えました。

 打者5人に対して15球を投げて無失点でゲームを締め、楽天野球団史上初の「日本一」を達成。もちろん、田中投手が胴上げ投手となり、2013年のシリーズはまさにクライマックスを迎えたのです。

 その後、星野監督は沸き立つ球場で、インタビューに応じて、2011年に東北を襲った東日本大震災の被災者の皆さまを念頭に置きつつ、こう呼びかけました。

「最高! 東北の子どもたち、全国の子どもたちに、そして被災者のみなさんに、これだけ勇気を与えてくれた選手を褒めてやってください」

 この発言を、球場に詰めかけたファンのみならず、テレビなどで視聴していた多くのファンの皆さんが好意的に受け入れてくださり、いまだに「名言」としてしばしば言及されています。

 楽天野球団の社長である僕にとっても、あの星野監督の発言が大歓声をもって受け入れられたのは非常に嬉しいことでした。なぜなら、このときはじめて、東北楽天ゴールデンイーグルスは「東北の球団」になることができたような気がしたからです。

 そして、東北のファンにそのように思っていただけたのは、星野監督が描き出した「ストーリー」が、皆さまの「感情」を動かすことができたからなのです。

僕が「砂浜」にこだわった理由

 これはほんの一例です。

 星野監督は野球に勝つために、緻密に戦略・戦術を考えていらっしゃいましたが、それと同時に、ファンの「感情」を動かし、チームの「士気」を高めるために、常に「ストーリー」を意識しておられたと思います。

 そして、僕は星野監督に強い影響を受けました。

 楽天野球団の経営において、常に「ストーリー」を意識するようになったのです。特に意識したのは、「東北の球団」としての「ストーリー」でした。

 たとえば、こんなことがありました。僕が社長に就任した2012年の夏のことです。社員たちが、球場の目の前に、小さなプールと砂浜をつくったのです。その理由を聞くと、まだ東日本大震災からの復興が進まず、子どもたちが海岸に出て遊ぶことができないから、砂浜で遊べる場所をつくりたかったのだと言います。

 これに、僕は感動しました。そして、「それいいじゃん!」と大絶賛。そのように、地元の方々の気持ちをお察しして、喜んでもらうために創意工夫をすることこそが、楽天野球団の仕事だと思ったのです。

 だけど、その小さなプールと砂浜は、しばらくすると飽きられてしまったのか、利用者が少なくなったため撤去せざるを得ませんでした。それが僕にはもったいないように思えてならず、ずっと気になっていました。

 そんななか、楽天野球団創設10周年となる2015年の夏、社員たちは、あのときよりも大きなプールを設置してはどうかと提案してきたので、僕は、砂浜の併設を逆提案。もちろん、大きなプールをつくれば、子どもを遊ばせたい家族連れのお客さまがたくさん来てくださることが期待できますが、それだけでは何か足りないような気がしてならなかったのです。

 被災地である東北に拠点を置く楽天野球団にとっては、単にプールを提供するだけではなく、いまだに海岸で思いっきり遊ぶことができない子どもたちのために砂浜を経験させてあげたい。その球団としての「思い」こそが、楽天野球団ならではの「ストーリー」を紡ぎ出すように思ったのです。

「小さなストーリー」の積み重ねに意味がある

 あるいは、東北6県の代表的なお祭りに参加したこともあります。

 青森の「ねぶた祭り」、秋田の「竿燈祭り」、山形の「花笠祭り」など、東北各地には有名な夏祭りがありますが、地元の主催者にお願いして参加させてもらえるように働きかけることにしたのです。

 もちろん、いきなり神輿などを出せるわけではないので、チアリーダーのメンバーが観客の子どもたちにお菓子を配りながら、みんなで「楽天野球団が地元の球場で試合する」ことを知らせる看板を持って練り歩くわけです。

 社長である僕は、すべてのお祭りに参加させていただきました。「ねぶた祭り」では、跳人(はねと)としてぴょんぴょん跳ねまくっていたら、ふくらはぎが肉離れを起こして、ちょっとした騒ぎになったりもしました。

 でも、こういう小さな出来事が大切だと思います。後日、社員たちが青森の地元を訪問したときには、「肉離れした社長さん、大丈夫?」などと声もかけてもらえたりして、人間らしいお付き合いができるようになるからです。そして、こうしたエピソードの積み重ねが、球団の「ストーリー」を紡いでいくのだと思うのです。

「企業の歴史」に一貫した「思い」があるか?

 こうしたエピソードは山のようにあります。

 とにかく、一つひとつの「判断」「決断」をする際に、「東北の球団」としての「ストーリー」に徹底的にこだわったのです。

 時には、明らかに集客が見込めるイベント企画であっても、「そのイベントは東北の球団としてふさわしいのか?」という観点から「不採用」という決定をくだしたこともあります。そのために、社員に負担をかけたこともあったかもしれませんが、僕たちが日々行っている「判断」や「決断」の積み重ねが、企業の「ストーリー」を描き出すのであり、それが「企業の歴史」となるのだからおろそかにはできません。

 そして、「企業の歴史」=「ストーリー」に一貫した「思い」があれば、それはきっとお客さまや取引先に伝わります。そして、それが一朝一夕では生み出すことのできない、強固な「企業価値」をもたらしてくれるのです。

 たとえば、「楽天野球団は心から東北6県のために貢献しようとしている」という「ストーリー」を共有していただけるならば、多くの東北の方々は楽天野球団に親近感をもってくださるはずです。これこそ、かけがえのない「経営資源」なのだと思うのです。

(この記事は、『リーダーは偉くない。』の一部を抜粋・編集したものです)