実質的に日本の首相を決める自民党総裁選が9月27日に開票されます。候補者からは多くの政策が出されていますが、なかでも注目を集めているのが「防災庁」「防災省」の設立案です。能登半島地震の記憶も新しく首都直下地震や南海トラフ大地震への備えが急がれるなかで、候補者の間での議論も白熱しています。
しかし、13年前の時点でこれと同様の提言をしていた本がありました。ブロガー・ちきりんさんの代表作であり、18万部のベストセラーとなっている『自分のアタマで考えよう』です。同書の発売から現在まで、SNSなどで長らく「災害対策庁」や「防災省」の設立の必要性を訴えるちきりんさんの賛同を得て、同書の該当部分を特別に無料で公開します。
なお、ちきりんさんの防災・復興についての考えは、音声コンテンツのVoicy でも「復興産業は日本の有力な輸出産業になる。復興省はよ!」というタイトルで詳しく語られています。
アフリカって1つの国!?
「自分のアタマで考える」ときにくれぐれも注意したいのは、「思考のレベルをそろえる」という、ごく当たり前のことです。異なるレベルの事象をごちゃ混ぜにしてしまったら、考えはじめる前から間違えてしまいます。
たとえば最近、消費市場としてアフリカ大陸の可能性を高く評価する意見を聞くようになりました。そしてその中でよく「アフリカには9億人以上の市場がある」という言い方がされています。
この9億人とはアフリカ全土の合計人口のことです。けれどなぜアフリカだけ「大陸全体の合計人口」が取りざたされるのでしょう?
アフリカについて「9億人の市場だ! 巨大だ! 有望だ!」というのなら、アジアなんて35億人以上の市場です。インドには一国で11億人以上の人口がいるのです。
アフリカには54の国があり、同じ国の中にも異なる民族や言語が混在しています。内戦や宗教対立により一国にふたつの“政権的な権力”が存在する場合さえあります。どこにアフリカをひとつの市場として語る合理性があるのでしょう?
35億人もいるアジアにおいても、どの国でも同じ商品が同じ方法で売れると思う人はいないでしょう。成長率や規模など「市場の有望さ」も国によりさまざまです。それはアフリカも同じはずです。
アフリカにビジネスチャンスがありそうだという話に反論する気はありませんが、少なくとも「9億人の市場」と言うのであれば、なぜアフリカだけは大陸全体で合計して考えてもよいのか、ということについての説明が必要だと思います。
議論のレベルがずれてない?
数字を比較する場合に加え、議論する場合にもレベルをそろえることはとても重要です。次の会話を見てください。
Aさん
「何回も契約更新を繰り返して、同じ職場で5年も働いているのに正社員になれず、有給休暇もボーナスももらえず、不安定な立場に置かれている人がいるのはおかしい。こんな非正規雇用契約は禁止すべきだ!」
Bさん
「でも、契約社員として一定期間だけ働きたい人も世の中にはたくさんいるんですよ。全員が全員、正社員になりたいわけではありません。働き方の多様性も確保する必要があります。」
テレビ討論などでよく聞く問答ですが、Bさんの発言はAさんの意見への反論として成立していません。Bさんは「でも」で話しはじめているので、Aさんの意見への反論を言う必要があります。けれど、Bさんの意見はそうなってはいないのです。
ステップごとに分けて理解すると、Aさんの主張はこうです。
①世の中には非正規の社員と、正社員がいる。
②非正規社員の中には、自分で望んでそうなっている人と、本当は正社員になりたいのに仕方なく非正規雇用で働いている人がいる。
③正社員を望んでいるのに正社員になれない人の中には、何回も同じ会社で契約を更新しながら非正規社員のまま長年働いている人がいる。
④その中には、有給休暇もボーナスもないなど、不公正な労働条件を強いられている人がいる。また彼らは長年働いていても、急に解雇されてしまうこともある。これは不当なことである。
このAさんの主張のうち、②はBさんの発言趣旨とまったく同じです。「非正規雇用の人のうち、望んで非正規雇用という立場を選んでいる人と、正社員になることを望んでいるのに非正規雇用を余儀なくされている人が存在する」ことは、Aさんの発言の前提に存在しているのです。その前提に基づき、Aさんは、「望んでいるのに正社員になれない人の問題」を取り上げています。
ところがBさんは話を数段階前に戻し、「自ら望んで非正規雇用の人もいる」と言い出しました。BさんはAさんの主張の前提(の一部)をリピートしているにすぎないのに、それをあたかも有効な反論であるかのように「でも」でつなぐのは論理的ではありません。これを図にすると図44のようになります。
Aさんが問題視しているのは、グレーにぬられた枠の中の人の待遇や雇用条件です。しかし、Bさんが主張しているのは、太枠の中には2種類の人が存在する、という話です。「太枠の中に2種類の人がいる」ことはAさんも否定していません。2人の話はレベルがそろっていないのです。俗に言う「かみ合っていない」議論ですね。
もしかするとBさんは、意図的に異なるレベルの話をして、議論を回避しようと目論んでいるのかもしれません。これは交渉ごとではよく使われる技法です。
そういった場合、Aさん側が「話題レベルのズレ」に気がつかないと、まんまと話をはぐらかされてしまいます。相手が意図的にレベルをずらしてくるなら、図44のような図を使って、「私たちは今、どのレベルの話をしているのか?」ということを確認しながら議論を進める必要が出てくるでしょう。
省庁のネーミングを消費者庁にそろえてみると
他にも、レベルのズレをそろえると、思いがけないことが浮かび上がることもあります。
2009年に「消費者庁」という新しい行政組織が発足しました。さまざまな商品事故や詐欺事件の防止に努め、消費者の視点から政策全般を監視する省庁です。
次の省庁一覧を見るとわかるように、消費者庁は公正取引委員会や金融庁とともに内閣府の下に置かれています。内閣府の下にある組織は、(宮内庁を除き)「監視、監督が職務」という共通点があるように見えます。
・内閣官房
・内閣法制局
・人事院
・内閣府(宮内庁、公正取引委員会、国家公安委員会〈警察庁〉、金融庁、消費者庁)
・総務省(公害等調整委員会、消防庁)
・法務省(公安調査庁)
・外務省
・財務省(国税庁)
・文部科学省(文化庁)
・厚生労働省(中央労働委員会)
・農林水産省(林野庁、水産庁)
・経済産業省(資源エネルギー庁、原子力安全・保安院、特許庁、中小企業庁)
・国土交通省(観光庁、気象庁、運輸安全委員会、海上保安庁)
・環境省
・防衛省
ここでは省庁のネーミングに注目してみましょう。多くは、その省庁が担当する分野や機能に関する名前がついているようです。国土交通省は国土の建設や交通について、経済産業省は経済と産業について、財務省は財政の実務について担当しています。
しかし「消費者庁」の名前は、「消費者のための省庁」「消費者の視点で政策を担当する省庁」ということなので、「誰のための省庁か」という観点からつけられています。
もしも他の省庁と同じパターンのネーミングにするなら、消費者庁は「消費者保護」という機能(もしくは分野)の担当なので、名称は「消費者保護庁」とする方が適切ですよね。なぜそうなっていないのでしょう?
もし「消費者保護庁」という名前の省庁ができたら、みなさんはなにを考えますか? ちきりんであれば、「えっ? じゃあ、他の省庁は消費者保護はやらなくていいの?」と考えたことでしょう。ネーミングのレベルをそろえてしまうと、そんな無用な疑問を呼んでしまう可能性があるのです。
反対に、「誰のための省庁か?」「誰の視点で政策を担当する省庁なのか?」を名称としている「消費者庁」のネーミングパターンで、他の省庁名を考えてみましょう。すると……
・経済産業省→「経団連省」
・厚生労働省→「医師会、製薬業界&労働組合省」
・国土交通省→「建設業界&鉄道会社および航空会社省」
・農水省→「JA&農家省」…
なるほど! これならネーミングパターンは「消費者庁」とそろいますが、あまりに露骨ですよね。だから既存の省庁は「誰のための省庁か?」「誰の視点で政策を担当する省庁なのか?」という観点からの名前を使わず、機能名や分野名がつけられているのですね!?
などと言っていると、まるで陰謀論になってしまうので、もう少しまじめに考えてみましょう。
明治維新からはじまった欧米先進国に追いつくための殖産興業政策や、戦後の経済成長最優先の体制下では、国家機関は産業界や企業など供給側と一体化して国づくりに邁進してきました。各省庁は産業界や企業の支援を通じて国力を向上することが使命だったのです。官庁も政府も「日本」という国づくりのため、もしくは日本の国の力を少しでも大きくするために存在していたのです。
だからわざわざ「誰のための省庁か?」「誰の視点で政策判断をするのか?」などということを名前に反映する必要はなく、経済なり国土建設なり労働なり、担当する分野名を組織名としてつけておけばよかったのでしょう。
そこに初めて、国力の向上ではなく「消費者や生活者のための省庁」ができました。そこで「この新省庁は今までと異なり、主体が産業側、業界側ではなく消費者側なんですよ!」と区別(もしくはアピール?)するために、消費者庁という名前になったのではないでしょうか?(図45)
そう考えれば、これは日本の行政のひとつの転換点ともいえ、悪い話ではありません。けれども一歩進めて考えれば、そろそろすべての省庁を、産業界や企業のための省庁ではなく、消費者や生活者のために使命を尽くす省庁に変えていくべきタイミングと考えてもよいのではないでしょうか?
農林水産省の仕事はJAや農家の保護(=主体は産業側)ではなく、食の安全の確保(=主体が消費者側)であるはずです。国土交通省の使命は、建設業の振興や(=主体は産業側)、鉄道や空港の建設(=主体はJRやJALなど企業側)ではなく、海外旅行に便利な空港運営や欠陥マンションの摘発、またバリアフリーの街づくり(=主体が生活者側)などであると考えてもよいでしょう。
経済成長のため、先進国になるために、「国づくり」や「国力の向上」という視点でつくられた日本の行政組織は、いつしか、
国づくりのために産業を振興する。
↓
そのために産業政策を考える。
↓
担当業界とその分野の企業を守る!
と変節しつつあるように思えます。このあたりでいっそのこと「国づくり・産業政策」という視点から離れ、「国民のための行政」という視点に完全に移行すればよいのです。そうすれば、官公庁の役割や、そしてネーミングも大きく変わってくるでしょう。
ちょっとおちゃらけですが、この考えを図にしてみました。図46は現在の官公庁がどのように見えるか、という図です。
次に、こうであればいいな、と思う形が図47です。
図47には消費者庁はありません。既存省庁が消費者のための省庁に衣替えすれば、「消費者庁」という名前の役所など不要になるかもしれないのです。
レベルをそろえると本音がわかる
ここまで見てきたように、「なんだかレベルがそろっていないな。おかしいな?」と気がついたら、わかりやすくなるよう同じレベルのものをそろえて書き、レベルを整理してみるとよいでしょう。そうするとレベルがそろっていない本当の理由が浮かび上がってきます。
アフリカの人口を個々の国ごとに言えないのは、そうしてしまうと「アフリカでのチャンスが大きい!」と言いにくくなるからです。「非正規での働き方を望んでいる人もいる!」などと言い出すのは、正社員になりたいのに、なれずに放置されている人への対策を考えたくないからでしょう。
同じように、消費者庁などという省庁が必要になるのは、他の省庁が相変わらず消費者のことなど考えず、ひたすらに担当業界の権益確保や規模拡大のために存在しているからともいえるのです。
日本に本当に必要な省庁は……
ところで新しい官庁といえば、もうひとつ観光庁という、これまた産業振興のための新省庁があります。この観光庁、日本ではできたばかりですが、世界に冠たる観光大国のフランスでは重要官庁のひとつです。またアメリカには大きな移民局がありますし、韓国には韓国統一省という役所があります。韓国にとって南北統一は独立した省庁をひとつつくるくらい重要な国家ミッションだからです。おもしろいのは、ロシアやウクライナには非常事態省があるということです。たしかに非常事態が多い国ですよね……。
となると、地震や台風の多い日本には「災害対策庁」、もしくは「地震対策庁」があってもよいのではないでしょうか?
米国は2001年の9・11テロを受けて、翌年に「国土安全保障省」(Department of Homeland Security)を新設しています。使命はテロと自然災害から本土を守ることです。米国にはペンタゴンと称される立派な国防総省(防衛省)があるにもかかわらず新たに本土防衛省をつくるのだから、9・11のインパクトがいかに大きかったかがわかります。
振り返って日本でも、2011年の東日本大震災、ならびに福島での原発事故は、同じくらい大きなインパクトのあった出来事だと思います。省庁が各産業振興のために存在していた時代には、「災害対策庁」なんて決して出てこない発想だったでしょう。けれど、もしも中央官庁が国民の生活を守るために存在するのだと定義し直せば、「災害対策省」や「高齢化社会支援省」があっても決しておかしくはありません。
原発事故のあと、細野豪志氏が原発事故の担当大臣となりました。政治的なリーダーシップのためなら大臣をおけばそれでよいでしょう。しかし、長期的な住民の生活支援のためには行政組織もあわせて必要になるはずなのです。
日本という国は「小さな政府」を望ましいと思う人が多数を占める国ではありません。それにもかかわらず公務員バッシングが長きにわたって続くのは、国民の中に「政府が国民の方を向いていない」という根深い不信感があるからでしょう。
「消費者庁」などという「いかにも」な名前の省庁がつくられたことで、私は、既存省庁がいかに消費者側に立っていないかということを再認識しました。そろそろ日本も「国を強くする」という呪縛から逃れ、「国民生活を豊かにする。直接的に人々の生活を支援する」という視点から政府機関を再編し、いつか「消費者庁」などというネーミングの省庁が不要になる日がやってくればよいのに、と思います。