人間は肉体を持っています。デジタルのつながりはネット上で無限に広がりますが、自分という存在そのものは肉体で規定されています。SNS上の関係を可能にしている電気やシステムも無限ではないので、例えば電気の供給が止まれば途絶えてしまいます。無限に広がるように思えるネット上のコミュニケーションも、実は危うい均衡の上に成り立っている、儚いつながりとも言えるのです。

興味を持つことから始まる
サステナブルな社会

 他人と関わるのは煩わしいことです。東京では他人がそばで困っていても、手を貸そうとしないとよく言われます。

 変に関わると面倒くさいから無視をするというのは、私は、愛の枯渇した状態なのだと思います。マザー・テレサの言葉に「愛の反対語は憎しみではなくて、無関心だ」というものがあります。現代に生きる私たちは、様々なことに無関心になりました。しかし、無関心から持続可能な社会はきっと築けないだろうと思うのです。

 マザー・テレサの言葉から考えれば、現代の無縁社会の対局にあるものは、「興味を持つ」ことです。もう少し、お互いが、お互いを見て興味を持つ。あるいは自然、次の世代に興味を持つ。そこからすべてが始まります。