農村が育んだ共同体の結束と
都会が生んだ三つの“だけ”思考

 農村は、いわば同業者の集まりで、みなが同時期に田植えをして、同時期に稲刈りをしていく。全員が同じことをして暮らしているため、自ずと共同体の結束も強くなるわけです。共同作業をして生きていくためには同じ価値観を共有することが大切なので、その中で個はあまり確立されなかったのだろうと思います。

 一方、現在私を含め多くの人が、都会的な“個の社会”で暮らしています。お金さえ払えば、楽しく便利な暮らしが送れます。行政のサービスも生活インフラも完備されていますし、何でもお金で済ませることができます。しかし、お金を持たずに東京で暮らすのは大変なことです。

 また、都会に住むのに慣れてくると、当然のように自分たちをサービスの享受者だと思うようになります。もし大地震や洪水が起こっても、自衛隊が食べ物や水を持ってきてくれるだろうと思っています。いわば、行政サービスのお客さんです。お客さんなので、能動的に知ろうとすることがありません。自分の隣に住んでいる人の顔を知る必要も、挨拶をして人間関係を築いていく必要もないと思っています。プライバシーが尊重され、便利な社会ではありますが、人間関係はとても冷たいです。