基本的に無私の精神で役目に仕え、そのうえで担当する業務が失敗した際には、場合によっては死をもってでも責任をとる。その公徳心の源となったのが「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義」すなわち武士道という理念でした。

 幕末の日本を描いた司馬遼太郎の小説『世に棲む日日』にこんなシーンがあります。

 少年期の吉田松陰は、長州藩士で松下村塾の創設者である叔父の玉木文之進から、このうえなくスパルタな教育方針で兵学を授かり、同時に武士道を叩きこまれます。

 ある日、農作業をしている文之進の傍らで、田んぼのあぜに腰をおろして朗読していた寅次郎(松陰の幼名)が何気なく頬を掻きました。それを見た文之進は「貴様、それでも侍の子か」と怒鳴るやいなや寅次郎を殴りまくったといいます。以下はそのときの文之進の言葉です(小説より引用)。

「痒みは私。掻くことは私の満足。それをゆるせば長じて人の世に出たとき私利私欲をはかる人間になる。だからなぐるのだ」

「公」という行動規範を
血肉にしていた武士階級

 つまり、読書とは社会に役立つ自己を作る「公」の行為であるのに対し、頬を掻くのは「私」の行為である、「公」の行為の最中に「私」の満足を優先させるのでは、これから世に出たときに私利私欲をはかる人間に必ずなる、だから殴ったのだというわけです。