不治の病に向き合う
情熱に満ちた若き医師

 年が明けた1984年1月、孫は虎の門病院の熊田医師の診察を受けた。

「先生の治療法を新聞記事で読みました。私の病気は治るでしょうか?」

 その声に、必死な響きがあった。孫は狭い診察室の椅子に、からだを丸くして座っていた。

 37歳のこの医師は、まだ無名だったが自信と情熱にあふれていた。

「やってみましょう。とにかく、やってみなければわかりませんよ」

 熊田は静かな口調で言った。

 当時、慢性肝炎の治療法はまだ確立していなかった。効果的な治療法がなく、慢性肝炎になると肝硬変になり、やがて肝臓がんになる不治の病だった。

 熊田は孫のカルテに眼を落とした。

 健康体であれば、e抗原の数値はゼロ。いわばe抗原は暴れん坊のウイルス、横着なウイルス。どんどん肝臓を食べ、破壊してしまう。

 数値は、低、中、高の3段階に分かれる。孫の場合は、200を超えている。

 孫はこのとき明らかに重度の慢性肝炎だった。軽度、中度、重度、肝硬変、肝臓がんと進行していく。孫の場合はすでに肝硬変になる寸前だった。5年以内には肝硬変になり、腹に水がたまる状態だった。

 熊田は、医師としてできる限りの手段を取ってみようと決心した。

 熊田は当時の孫が新進の起業家であることを知らなかった。不治の病に苦しんでいるひとりの若者であった。だが、病気に負けまいという決意が眉宇にあった。その必死の思いが熊田の心を打ったのである。