小説が書けないときは
「まだ選ばれていない」ということ
――「虐殺」がテーマですか。
僕は幼少時に母親から理不尽なひどい体罰を受けていたこともあって、虐殺される人間というものに過剰に感情移入してしまうところがあります。カンボジアのポル・ポトの大虐殺、ルワンダの虐殺など、人類史のいろんな虐殺が怖くてたまりません。
しかしよくよく考えたら、自分は加害者にもなり、被害者にもなり得る。
それで、どうやらこれは文学が扱うべき大きなテーマだと考えるようになったんです。これは何としてでも一個人として取り組み合いたい一生のテーマだとずっと思っているわけです。
そうした中で、特にこの歳になって悲惨なパレスチナの映像を毎日のように目にすることになろうとは思わなかった。
自分の興味関心のあるところのど真ん中なんですけど、ど真ん中であるがゆえに重すぎて、自分の言葉が見つからないんですよね。なかなか書けない。
――なかなか書けないというのは、何かがまだ上から降りてこないからですか。
そうだと思います。まだ準備ができてないんだと思います。たぶん僕のような存在は、目につかないんだと。あまりにもショボすぎて。言葉を発することができないまま無念に殺されていった人の命みたいな視点から見ると、もっと立派な作家にいくんだと思います。
一方で、もし選ばれたら、怖い気もしています。書き始めたら、生まれ出ようとする小説というのは、自分の手に負えないようなものである可能性があるので、仕事としては身分不相応なかなり大きな仕事になるんじゃないかなと。そこは十分な覚悟がいるかなと思っているんですけど。