僕のイメージですけど、たくさんの亡くなられた人たちの命が天に昇って、空をグルグル回りながら、下界を見下ろして、私たちが言いたかった言葉を書いてくれそうな書き手を探しているような気がするんです。

 そして、彼らに見つけてもらえたら、それについて初めて書けるということなのではないのかということに思い至ったわけなんです。ということは、自分が書いているというよりも、何らかの代理者として書いているのではないかと思うようになったんですね。

書き手が自分を出し過ぎると
生まれようとする作品の邪魔になる

――代理者として書く。

 小説を書き始めたら、その書かれようとしている小説は、小説自体が自分で生まれようと動き出します。

 だから僕が、書き手としてあまり自分を出すと、生まれようとしている作品の邪魔をしてしまうことがある。

 これがまた難しいところで、この小説の声を聞きながら、自分はこの小説が生まれるのを助産師のように助けるという役割じゃないのかということを、最近は特によく考えています。

 だから、いろんな命や、いろんな情念みたいなものとシンクロしないと、気持ちばっかりが前に行って、苦しいんですよね。言葉が出てこない。

 それは、自分がまだそこに達していないというか、準備ができていないということだと思うんです。

 僕は今年に入って、まったく小説が書けなくなっているんです。それはなぜかというと、パレスチナ問題のことがあるからです。昨年の10月以降、イスラエル軍によるパレスチナの人々への虐殺行為がすさまじいじゃないですか。僕はデビューしたときから、「虐殺」をテーマにしているので、すごく心を痛めています。