文章で大事なのは、
その言葉がどこから出てきたかということ

――吉村さんは普段、書けないときはどう過ごされているんですか。

 焦っても降りてこないので、待っています。何もしていない状態、たとえばソファーに寝転んでいる状態について、正当に評価してあげたいという気持ちはありますね。それも必要なんだよと。

 物書きはみなそうだと思うんですけど、2種類いて、すごく規則的に書く人と、規則的に書けない人とがいる。

 ただ、外見上違うだけで、同じようなことをやっている気がします。つまり規則的に書いている人は、たとえば1日何時間と決めて書く。たとえば津村記久子さんはタイマーで時間を計って書くそうです。谷崎潤一郎も毎日何時間も書斎の机の前に座って書いていた。それでも1日にせいぜい書けて原稿用紙2枚だったといいます。

 大江健三郎は毎日書いたけれども、手を入れて最後は元の形がわからなくなるくらいまで徹底的に直した。ということは、ひょっとすると初稿のときはそれほど準備ができていなかったというか、それほどの時期じゃなかったのかもしれません。

 僕も書けるときは書けるんですよ。『みんなのお墓』は、3週間半で初稿を書き上げた。『CF』は3週間ちょうどです。書き出すと速いんですが、でもそれ以外のときは何もしていない。ソファに寝転がっているだけです。

――吉村さんの文章は表現が独特ですね、ボキャブラリーが豊かというか。

 僕が文章を書くときに大事だと思っているのは、ボキャブラリーの問題ではなくて、それがどこからきた言葉なのかということです。

 たとえば、小学校しか出てないおばあちゃんが、原爆体験をつづるとします。文章は稚拙でボキャブラリーも少ないですけど、こっちに伝わってくる思いというのは、重いものがあると思うんです。

 カフカの日記を読むと、自分の書きたいことが根から上がってこずに、せいぜい中程のところからしか上がってこないという悩みを抱えていたようです。カフカみたいな人ですらそうなのかと思って。

 でも、結局そういうことで、その文章を書きたいという思いというか、その文章がどこからきているのかということが大事なんだと思います。

 ごくごく浅いところからきているんだったら、いくら言葉、ボキャブラリーを費やしても全然ダメだと思うし、深いところからきているのであれば、少々文章が稚拙でも十分に伝わると思うんですよ。