気候変動が加速して平均気温が上昇し、自然災害も増加している。森林の大規模伐採が、そのひとつの原因であることを科学的に実証した森林生態学者・スザンヌ・シマードは、アメリカの『TIME』誌で今年「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。彼女の初著書『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』が世界でベストセラーになったのも、人々の環境問題に対する危機感の現れだろう。
本書が共感を呼んでいるポイントはもうひとつある。男性社会で孤独な研究を続けていたシマードは、結婚して2人の娘を授かったが、仕事と家庭を両立できずに離婚。さらに、がんを患い乳房全摘手術を受けたシマードの紆余曲折の人生だ。そこで今回、本書の内容から、世界に影響を与えた科学者が離婚と乳がん闘病で気づいた後悔しない生き方について紹介する。(文/樺山美夏、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

マザーツリーPhoto: Adobe Stock

仕事と家庭の両立に悩んだとき、どちらを選ぶか?

 ビジネス書関係の仕事に多く携わるようになってから、成功者には家庭が崩壊している人が多いという話をよく聞く。

 本書の著者のスザンヌ・シマードは学者だが、論文が世界で認められて忙しくなってから夫婦関係が悪化し、娘たちと過ごす時間が少なくなっていった。そこで仕事と家庭のどちらをとるか究極の選択を迫られ、平日は大学で仕事をして、週末だけ片道9時間かけて自宅に戻る生活を選ぶ。最愛の娘たちと離れ離れになる彼女の苦悩が綴られる場面は、胸が締め付けられる。

 シマードは、自分の仕事に誇りを持ちながら、母親としての責任を果たすことも重視していた。多くの女性が直面する「完璧な母親でありたい」と同時に「キャリアを築いて成功したい」と思う葛藤は、働く女性に共通する永遠のテーマだろう。

 夫との関係を修復できなくなったシマードは、離婚を決意する。そのとき彼女は、次のような言葉を綴っている。

娘たちを離婚で傷つけたくはなかったが、長い目で見れば、元気な母親と幸福な父親がいるほうが2人のためにはいいことがわかっていた。(P.411)

 実際、両親の険悪な関係に耐えられず、離婚してそれぞれ幸せに生きてくれたほうがマシだと思う子どもは少なくない。

 離婚を、人生の挫折や失敗ととらえる人は多いが、シマードはこの苦い経験を機に自分の使命を再認識して、新たな一歩を踏み出していく。

 彼女の姿は、働く女性に「困難な状況でもあきらめなければ前に進んでいける」という勇気を与え、仕事と家庭の両立がうまくいかなくてもキャリア形成できる希望を与えるだろう。

がんを克服する人が大切にしていること

 シマードの人生におけるもう一つの大きな試練は、乳がんとの闘いである。そのとき彼女を支えたのは、がん克服のワークショップで指導してくれた専門家の次の言葉だ。

いちばん大切なのは、周りの人々としっかりつながり、自分の感情を伝え続けることだった。ある医師は、人間は人との関係で決まると言った。がんを克服する人たちのいちばんの共通点──それは、決して希望を捨てない、ということ。(P.455-456)

 シマードは、「とても内気で、傷つきやすく、ほかの人の意見に左右されやすい」タイプだった。上司の森林監督官が、「クソったれマザーツリーなんか伐っちまおう。どうせいつか倒れちまうんだから、せいぜい金にしようや」と言ったときも、反論しなかった。なぜなら、「自分の信念を主張し、必死で闘うのがまだ怖かった」からだ。

 しかし、先述の言葉によって、「健康でいられるかどうかは、周囲とつながり、意思を伝達し合うことができるかどうかにかかっているのだ」と勇気づけられる。それはまさに、根や菌糸が地中のネットワークでつながり、情報を伝達して支え合っている森の木々から学んだことだった。

 しかし彼女はその後、左右の乳房摘出手術を受けたものの、がんがリンパに転移し、抗がん剤治療で肉体的、精神的に大きなダメージを受ける。そして、家庭より仕事を優先して、離婚したことを後悔するのだ。

自分は悔いのない生き方をしているか?

 シマードがやり残した仕事はただひとつ。死期が近づいている老木のマザーツリーが、最後に残ったエネルギーや養分を子孫に送っているのかどうか突き止めることだった。それは、娘2人の母である自分に残された人生をどう生きるか、考えることでもあった。

 がん闘病を機に、彼女は「人と人のつながり」とは何かを深く理解するようになる。森林の生態系が木々の助け合いと共生で成り立っているように、彼女もまた祖父母と両親、娘2人との絆、親友、同僚たちとの支え合いによってがんを克服していく。

 森の木々たちを育てながら枯れていくマザーツリーと、死期を身近に感じはじめた彼女の人生が交差する物語の後半を読むと、「自分は悔いのない生き方をしているだろうか?」と考えさせられる。

 自分にとって大切な人たちと信頼関係でつながっていれば、緑生い茂る森のように人生は豊かになる。後悔しない人生の本質とはそういうものだと気づかせてくれる一冊だ。