日本の近代化が進み
同時に地域の均質化も進んだ
――北川さんが総合ディレクターを務める芸術祭は、作品を巡りながら、その土地の歴史や文化、風土に触れることができる、とても考えられた設計だと思いました。
それが「サイト・スペシフィック・アート」(※場所の特性を活かして制作する作品や表現)と私がつねづね言っていることなんです。
特に大地の芸術祭の第1回目は大変でした。多くの人からの反対と疑問の中で開催し、初回なので人も全然来ないため、エリアを結ぶバスが閑散としている。6町村長に呼ばれて、「バスが空気を運んでいるとみんな言っているぞ」「今からでも遅くないから、作品を一個所に集めてはどうか」と言われたりもしました。
でも、たとえギリギリでも、やり続ける仕組みをつくる。そうすることで、規模の大きな大地の芸術祭や瀬戸内国際芸術祭なんかは、今や海外から来る人たちの観光の目玉のひとつになりましたからね。それぞれの芸術祭のリピーター率も4割を超えている。これは大変な数ですよ。一度訪れた人は、とにかくそこへ行けばまたおもしろいものが見られる、楽しい体験ができると、思ってくれている。
先日、大地の芸術祭の会場を訪れたとき、棚田にたくさんの子どもたちがいました。棚田というのは、地殻変動でできた形を活かした田んぼですね。芸術祭を始めた約25年前とは、ガラリと光景が変わったのです。そしてそれが地域の誇りとなっていきます。やり続けることで、ようやくそういうふうになってきたんです。
――海外の人たちは、どのようにしてこうした芸術祭の存在を知るのでしょうか。日本に来た人が帰国し、それが口コミで広まっていくのですか。
口コミが強いですね。以前、台湾のデザイン事務所の社長が社員たちといらしていて、聞くと、1カ月会社を休みにしてみんなで来たと言っていました。大地の芸術祭は、海外からのお客さんがもう5割を超えているんじゃないでしょうか。
日本人というのは非常に排他的で、先進国の中でもここまで移民を受け入れない国はないぐらい、外国から来る人たちに厳しい。そうした性格もあり、自分たちが住む土地に、急に海外の人が「こんにちは」と来たら嫌がる人も多いでしょう。でも、アートを見に来た、町や景色を見に来た、といわれたら皆、悪い気はしませんよね。アートというのは、この排他的な世の中で希望があります。そういう意味でのつながりは意識的につくっていますね。
日本列島は国土面積でいえば世界で62番目の大きさです。海岸線の距離は世界で6番目とかなり長い。3万〜4万年前、日本列島に北や南からいろいろなタイプのホモ・サピエンスがやって来た。太平洋は越えられないので、日本列島というのはある意味、旅の終着地でした。そこで私たちの祖先は、種をまき、苗を植え、見つけた材料ですみかをつくり、生活してきました。それらを全部受け入れながら日本は形成され、魅力のある文化や歴史、風土を培ってきたわけです。それなのに、あるときから急に排他的になってしまった。とんでもないことです。
ですから、お金はかかりますが、可能な限り海外からアーティストを呼ぶようにしています。私たちの芸術祭で初めて日本に来たというアーティストは多いですよ。道は遠いですが、少しずつやっていけば、今の排他的な文化も変えていけるかもしれません。私は政治的なことは言いませんが、アートというのはそういう可能性があるからいいですよね。
瀬戸内国際芸術祭の2019年のデータでは、開催期間の約100日間で、参加したボランティアが約8000人でした。そのうちの半数以上が海外から来てくださったかたたちです。手伝いたいという気持ちが基本ですが、いつか自分たちの町でこうした芸術祭をやりたいと思っています。日本は100年ぐらいかけて近代化を進め、同時に地域の均質化も進みましたが、彼らはこの20〜30年で自分たちの町が急速に均質化していくのが見えています。だから、何とか文化を残したい。すでに中国や台湾では、大地の芸術祭というような名前で、いろいろなところでやっています。
――どのように参加アーティストを決めたり、作品の設置場所を決めたりしているのですか。
まず行政と検討し、集落の意見を伺っておきます。そしてアーティストを案内し、その上での提案をアーティストから受けます。その提案に合った具体的な場所との交渉を、私たちのスタッフと行政が行っていきます。
アーティストは公募もしますし、自薦他薦も膨大にありますが、アーティストってプレゼンが下手な人が多いんです。建築家やデザイナーはやたらにうまい。うまいけれど、画(え)に描いた以上に良い作品はつくれません。でもアーティストは、ものや空間と対峙(たいじ)しながら作品をつくるので、どんどん作品が良くなる。
いずれにせよ、アーティストも場所も、私が最終的に判断します。これが本当に大変で、体に負荷がかかる。誰かひとりが責任を持って選ばないと、結局、委員会などで選ぼうとしても、アーティストも作品も似通ったものになってしまう。アーティストのキャリアだけで選ばれてしまう。ですから、変な選び方をしたほうがいいんです。「平均的」な作品は断りますよ。ほかのアートイベントや展覧会もそうしたほうがいい。そうすればもっと多様になります。
芸術祭の計画時に一番多く出てくる意見は、地元のアーティストをもっと登用しろというものです。建築家、デザイナー、そして工務店などの業者もです。業者はできるだけその要望に応えたいとは思っていますが、世界の第一線級のアーティストというのは、そういません。
「北川の独断じゃないか」とか、いろいろと言われますが、じゃあどうするんだという話になりますからね。最初の段階では、地域の議会や行政などから徹底的に文句を言われます。
アーティストたちも一生懸命、がんばってくれています。アーティストは、地域の歴史や文化を学び、理解し、説明しなくてはなりません。その過程で地元の人たちと対話し、お互いが理解し、意識が開かれていく。自立する地域づくりのためにも、この過程は大切です。