「文春砲」に踊らされる人が
見逃している「最重要論点」

 本連載でも繰り返し述べているが、週刊文春の取材は確かにすごいのだけれど、犯罪捜査をする専門機関ではない。「たかが週刊誌」なので、間違えることもあれば、裏付けの取れていない話を報じてしまうこともあれば、「売れる」ために意図的に読者の溜飲を下げる方向へ論調を曲げることもある。

 例えば、自民党の松下新平参院議員が、ある女性と男女関係にあると報じた文春記事で名誉を傷つけられたとして争っている名誉毀損裁判では、一審で裁判所はこんな判断をした。

「情報提供に安易に依拠して男女関係があると決めつけ、客観的な裏付けを欠いたまま記事を掲載した」(朝日新聞デジタル 9月6日)

 こういう話は例を挙げればキリがない。そんな週刊誌が報じた「疑惑」だけで、1人の人間を犯罪者と決めつけて、ネットやSNSで公然と罵り、仕事を奪えと叫び、さらなる「正義の裁き」を求めるこのムードは、背筋に冷たいものが走るし、もっと言うと気持ち悪い。

 松本さんへの「正当な裁き」を望む善良な人たちの多くが、被害者の証言は100%の信頼で支持しているのに、「強制性の有無を直接に示す物的証拠はない」という事実は無視している。

「性加害を受けたと被害を訴えている人を応援・支援しよう」という正義の心を持っている人たちなのだから常識的に考えれば、社会の不条理・不平等は許せないはずだ。ならば、「物的証拠がない」という事実も同じように重視して、「確かに被害を訴えている人はいるが、その被害を裏付ける証拠もないので断定はできない」という慎重な態度になるはずだ。しかし、善良の人の多くはそうはなっておらず、松本さんを棍棒で袋叩きにしそうなほど攻撃的だ。

 実際、「#松本人志をテレビに出すな」というハッシュタグが約半日で10万件を超えて投稿され、トレンド入りしたそうだ。

「公序良俗に反する者を裁くには証拠などなくてもタレコミだけで十分」というスキームが許されるなら、「被害」さえつくれば誰でも葬り去れる「魔女狩り」が横行してしまう。