「高級」だけが美食ではない。美食=人生をより豊かにする知的体験と教えてくれるのが書籍『美食の教養』だ。著者はイェール大を卒業後、南極から北朝鮮まで世界127カ国・地域を食べ歩く浜田岳文氏。美食哲学から世界各国料理の歴史、未来予測まで、食の世界が広がるエピソードを網羅した一冊。「外食の見方が180度変わった!」「食べログだけでは知り得ぬ情報が満載」と食べ手からも、料理人からも絶賛の声が広がっている。本稿では、その内容の一部を特別に掲載する。
食=保守的である
僕にとって、食も音楽も、ひいてはビジュアルアートや演劇も、すべてが芸術です。特に区別なく、同じ目線で楽しんでいます。
耳で音楽を聴いたり、目でビジュアルアートを観たりするのと同様に、口で料理を味わっている感覚です。正直、僕の中では喉元を通れば食事という鑑賞行為は終わっているので、胃に入らないでほしい(お腹が膨れるので)と思うくらいです。
食と音楽とビジュアルアートを比較すると、どれもクリエイティブのジャンルではありますが、芸術性を突き詰めるうえでの違いがあります。
ビジュアルアートが最も先鋭的で、続いて音楽、そして食は最も保守的にならざるを得ません。どういうことか。
「アート」「音楽」「食」の違い
ビジュアルアートの中でも現代アートは、何よりメッセージ性が重要になります。作品として美しい必要はないし、なんなら嫌悪感をもたらすものすら多いです。
音楽は、19世紀末以降、調性の制約から離れていきます。無調音楽の時代になるかと思いきや、そうならず、逆に20世紀半ば以降は現代音楽でも調性が復活する傾向にあります。
食は、口に入れるという時点で大きな制約が課せられています。いくらメッセージ性が素晴らしくても、体に悪いものを口に入れると、下手すれば死んでしまう。よって、まず安全でなければならないという最低条件があります。
また、「うまい」を満たさない食事は、なかなかレストランとして成立しません。スペインに「うまい」を目指していない「ムガリッツ(Mugaritz)」という先鋭的なレストランが一軒ありますが、世界でもそこくらいでしょう。
結局、食は「うまい」を踏まえつつ、いかに「美味しい」を追求するか、ということになり、最も保守的なジャンルとなるのです。