そう考えると、やはり文政権の反日政策は「安倍氏がいてこそ」功を奏したといえる。しかし、その安部氏も今は亡くなった。反日政策の象徴となるような人物がいない現状で、李氏が「NO JAPAN」と同様のことをしたとしても、前回以上の効果が出るかは甚だ疑問である。
また、前回の「NO JAPAN」では、日本に主要な取引先を持つ韓国内の企業も辛酸をなめた。反日運動の盛り上がりの影に隠れながらも、文政権のやり方に異を唱える者はいたのだ。現在、空前の日本ブームといえる中で再び反日政策が行われれば、その影響は計り知れない。
今は勢いに乗り、向かうところ敵なしに見える李氏だが、党内にも李氏に反感を持つ者は少なくなく、いつ足をすくわれることになるか分からない。
文在寅前大統領の沈黙
そして、もう一つ気になっているのは、文在寅氏の動向である。大統領退任の際には「忘れ去られた存在となり、静かに暮らしたい」などと述べていたが、何かにつけては尹政権を非難するコメントを出してきた。李氏も度々、ご機嫌伺いのように文氏を訪ねている。
自身が発した言葉とは裏腹に、退任後もその存在感を知らしめてきた文氏が沈黙を貫いていることに違和感を覚えるのは筆者だけではないのではないか。今回の件については、表向きは関わっていないとしているが、李氏らが文氏に今後についての指南を仰いでいる可能性も否定できない(あくまで推測の域ではあるが)。今後、文氏がどのような発言をするかにも注目したい。
韓国の政局は常に権力闘争とショーの繰り返しだ。以前の記事にもそう書いたが、今回の騒動で改めて実感している。
韓国は日本と比較して「国民の政治への関心が高い」。これは間違いではないものの、客観的に物事を見ることができず、すぐにメディアや主張の強い側からの扇動に国民が流されやすいのも事実だ。同じようなことがたびたび繰り返されるということは、必ずしも「理解した上で政治のことを考えている」とは言えないわけで、国も国民もいつまでも成熟しないというのもまた事実なのである。