ネットやSNSでこれらの企業を痛烈に批判している人々の主張を見ると、社会が迷惑をしている、安全性に疑問を抱かれるようなサービスや技術は、たとえ自社の大きな不利益や損害につながろうとも全面的に見直すべきだ、という考え方が多い。

 しかし、LUUPもタイミーもメルカリもメタも、これまでの対応から、そのような考えはサラサラない。むしろ、自分たちが構築したビジネスモデル、最新技術というのは、これからの日本社会にとって必要なものであって、多くの人々に幸せをもたらしているという強い自負があるので、そこに手を突っ込んで方針転換するなんて選択肢は「ありえない」のだ。

 これが危機管理の基本的なスタンスなので、どんなに丁寧な言い方で説明をしたところで炎上する。

 当たり前だ。自分たちの技術・サービスに非はないということは、今指摘されている問題やトラブルは「誤解」や「ほんの一部の特異なケース」となる。安全性に問題があるとか、犯罪に利用されているから見直せと訴えている人々からすれば、こんなに人をバカにした回答はない。

 かくして、スタートアップから急成長した新興企業と、彼らを問題視する人々の間の「溝」はどんどん深くなり、何を言ってもボロカスに叩かれる、という今の状況になって嫌われてわけだ。

LUUPやタイミーは
どうすれば嫌われなかった?

 それでは逆に、LUUPやタイミーのような「提供しているサービスや技術が悪用されている」というトラブルが起きた場合、どのような対応をすれば炎上を避けることができるのか。

 企業危機管理の教科書的な対応では、問題解決のために、行政や警察と全面的に協力をしていくという姿勢を見せる、などがよく言われているが、実はもっと効果的な方法がある。

 それは、日本人が幼い頃から叩き込まれるある精神を前面に押し出してアピールすることだ。

「みんなのために自分を殺す」

 日本の小・中・高、12年の学校教育は世界的にもかなりユニークで、子どもたちに学力だけでなく、規律を叩きこむことにも重きを置く。教育基本法にちゃんとそう記されているからだ。

 規律を守るには、自分勝手な言動は許されない。自分のやりたいこと、言いたいことを抑えなければ、クラスメートに迷惑がかかる。こういう「みんなのために自分を殺す」という精神を12年間、骨の髄まで叩き込まれた子どもが成長して社会に出ると、どんな大人になるのかというと、「みんなのために自分を殺さない人」に激しい憎しみを抱くようになる。